A Person assigned a price tag ― 人間の価値 ―
#01 囚われる白鳥 | #02 猟犬の嗅覚 | #03 追跡と待機 | #04 奈落の花 | #05 取引の価値は
#06 暗澹たる地図
行き止まり
「その後の痕跡が途絶えた、ということは、こうも考えられる」
「――どういうことだ?」
二人の頭上に陽光が差し、名実ともに光の館となった、マノワール・ド・ルミエール。
その温室庭園のテーブルで、二人の男、トマス・ヴェイル、サー・レジナルド・ストラトンが話している。
「自然現象としての失踪では無い、という逆説だな」
「置き手紙や、伝言メッセージなど、本来失踪者が残しがちなものが、一切無いと言いたいわけだな」
アプリコットティーを一口含み、レジナルドはそう応じる。
「そんなところだな。で、先ほどまでの痕跡と、クロード卿への脅迫を元に、誘拐の線が自然と成り立つ――そこまでは追える」
カップのティーにスキットルのウイスキーを注ぎ込みながら、トマスが答える。
「どうやって、何処へ連れ去られたか、だな」
「あれから邸内を見ても、重量物を引きずった跡もない。足跡も巧妙に消してある」
「出来すぎだ」
「俺もこういうやり口はあまり好まん」
トマスは鼻を鳴らすように笑った。
「痕跡を消すのは分かる。だが、こいつは消し過ぎている」
「消し過ぎ?」
「ああ」
スキットルを閉じる。
「掃除じゃない。――消毒だ」
レジナルドの眉がわずかに動いた。
「人間が動けば、必ず何かを残す。足跡、繊維、匂い、置き忘れ、躊躇――そういうものを、ここでは全部洗い流してある」
「だから逆に、人為的だと?」
「そういうことだ。自然な失踪には、こんな潔癖さはない」
「で、問題はここからだ」
「匂いがない」
「?」
「追うための匂いまで消してやがる」
ふむ――と、レジナルドは堂々めぐりになる思考に填まっていることを自覚した。
「で、提案だ」
トマスが先ほどのティーを飲み干す。

「提案?」
「こちらから動くんだ」
「失踪を公表しろというのか」
「こうなれば、恥も外聞も無いと思わんか?」
少し、レジナルドは言葉を躊躇い、トマスの次の言葉を待った。
「公表すれば、奴らは困る」
「何故だ」
「今までは俺たちだけがエレノア嬢ちゃんを探していた。だが世間に出せば、新聞屋も、警察も、財団も、敵も味方も勝手に動き出す」
「混乱を作るのか」
「違う。――匂いを作るんだ」
「匂いを――作る?」
「俺がやって見せたことを、お前も見てただろ。ティーの味に不満だから、ウイスキーを注いだようにな」
「つまり――元の匂いが無いなら、新しい匂いを混ぜる」
「そういうことだ。――お前、和食は好きか?」
「ん?いや、あまり機会が無いのでな」
「例えば、野菜料理があるとする。野菜自体は素朴でシンプルだ。そこに和食は、出し汁で素材を引き立てる、という知恵を加える」
「ほう」
「そこまでなら、俺の知ってる料理人なら二流と言うだろうな。そこに、更に印象の強い素材を加え、野菜の素朴な味わいと、出し汁を加えた相乗効果に、更に味のパンチを与えるんだ」

「そこまで君が和食に詳しいとは知らなかった」
「俺も詳しくはない」
「……何?」
「昔、料理にやたらとうるさい奴から聞いただけだ」
レジナルドは、トマスより先に亡くなった、彼の妻のことを思い出していた。
「で、その味のパンチとやらのアイデアはあるのか」
「使えるものは使いたいな」
「まさか――君は」
「『盟約』とやらと聞いたが――使えんのか」
レジナルドは、すぐには答えなかった。
「――只の約束事では無いらしいな」
「隠しても仕方ないな。――これは一種の軍事協定だ」
「一方が攻められれば、同盟国への攻撃と見做す、ってやつか」
「それに近い。もっとも、兵を繰り出す類の協定ではない」
「じゃあ、何を出す」
レジナルドは答えなかった。
「兵でも金でもない。それでも『軍事協定』と呼ぶほどのものなんだろ」
「……クアン家が持つ、ある力だ」
「ある力?」
「私も、出来ることなら使いたくない」
トマスはおもむろに立ち上がって、
「では、協定とかじゃなく、取引にすれば良い」
「取引か――君のそういうところは嫌いじゃ無い」
レジナルドは重い腰を上げる。
何を差し出し、何を得る――?
占術

「占い師に会いに行くのか?」
アストン・マーチン・ラピードの後部座席で、トマスは空になったスキットルの蓋を閉める。
「占い師か――その比喩は、当たらずとも遠からず、だな」
ステアリングを握るグローブが、微かに鳴る。
「奥歯に挟まったような言い方だな」
「私にも、正直言って分からない。道化のイリュージョンの方がまだ理解がしやすい」
「未来でも見えるのか」
「……そう表現する者もいる」
「また奥歯だな」
「仕方ないだろう。私自身、何を見ているのか説明を受けたことがない」
「信用してるのか?」
レジナルドはしばらく答えなかった。
「――エレノア嬢は、信用した」
そうか、とそれ以上はトマスも聞かなかった。
「――気付いたか、レジナルド」
「ああ。後方に間隔を空けて、ぴったりつけている」

「ずいぶん長いドライブになりそうだな」
「急ぐ旅でもないさ」
トマスはバックミラーを一瞥する。
指先だけが、わずかに動いた。
レジナルドは何も言わず、左手の親指を立てる。
「少し寄り道でもするか」
「ハイキングか?」
「悪くない」

「ビーグルからピットブルへ。ルート202を右折」
アストン・マーチンの後方、白のSUVの運転手が、携帯電話で短く報告を入れている。
『ピットブル、ピクニックに注視せよ、オーバー』
通話相手も極めて短く、応答する。
「――切れちまったな、しけてら」
「もう少しの我慢だな」
そういった舌の先でも、二人の指先は激しくサインを繰り出している。
「右折した先のストアに寄ろう」
レジナルドは方向指示器を右へ入れる。

ルート202を右折した葡萄畑沿いルートの先に、目的地であるオブシディアン・マナー(黒曜石の館)がある。
かつて『霧の森域(シルヴァ・ネブラエ)』を治めた地方領主、通称「黒羊の騎士」が、自らの権威と異端性を示すため、城の外壁へ黒曜石の薄板を張り巡らせたことに由来する。
霧が深い朝、館の外壁は黒い鏡のように森を映し、陽が差す夕刻には、刃物の断面にも似た鈍い光を返す。
その姿から、古くは「北の黒鏡」とも呼ばれたという。
その葡萄畑に、農夫が数名、農作業を行っている光景が見える。
レジナルドのアストン・マーチンが山道に入る少し前から、その農夫達の動きに異変が見られた。
一人は、その手にある農具を器用に分解し始め、
一人は、農用トラックに戻り、なかなか戻らない。

『ポインター・セターよりビーグル』
「ビーグル」
『ポインター・セター、オペレーション・オリオーン』
「ビーグル、オーバー」
「これはこれは、クアン様の。ご精が出ますなぁ」
通りがかりの別の農夫が、先ほどの農具を分解している農夫に声を掛ける。
「いやいや。今日も暑いですなぁ」
「はは、まだ残暑が厳しいですなぁ。では失敬」
農夫が去った後、話しかけられた農夫が携帯電話を取りだし、
「――そちらへ向かった。黙らせろ」
『了解』
農夫は何事もなかったかのように、手元へ視線を戻した。
分解された金属部品を、一つずつ組み上げていく。
柄。
機関部。
銃身。
それは、農具などではなかった。
――改造銃。

葡萄畑沿いの作業小屋では、更に異変が発生していた。
――床には、大きな麻袋が三つ、四つ。
口をきつく縛られたそれらが、時折、奇妙に蠢いている。
見下ろす農夫らの手には、先ほど同様、改造銃が。
「――目標、120m先」
作業小屋の窓を、別の農夫がわずかに開く。
銃口だけが、ほんの少し外を覗いた。
――汗を手ぬぐいで拭いながら歩いてくる、哀れな目標。
瞬間。
男は崩れ落ちた。
同時に、新しい麻袋を手にした農夫が作業小屋を飛び出す――。

葡萄畑沿いの山道を、アストン・マーチンが走る。
トマスは短く指でサインを送る。
「済まん、レジナルド。おしっこ」
「仕方ない、ここで停めよう」
アストン・マーチンの急ブレーキに、後方からついてきたSUVも急ブレーキを踏む。
トマスとレジナルドは手慣れた手つきで、懐の銃を取り出す――。

等価の署名
「お待ちしておりました、レジナルド卿」
夕刻から宵闇に傾きつつある、オブシディアン・マナー。
車係の使用人にアストン・マーチンのキーを預け、レジナルドとトマスは、正門にて、侍女であるグエット・カムの応対を受けていた。
「――そちらの方が、トマス・ヴェイル様でいらっしゃいますね」
「どうも。レジナルドに無理を言って同行させてもらっている」
グエット・カムは柔らかい自然な笑顔を見せ、
「こちらへ。わが主より、お二人をお通しするよう、承っております」
懐から銃器を、傍らの使用人に預けようとする二人を、グエット・カムは制し、
「そのままで結構でございます。奥へどうぞ」
と、先を進んだ。
歩みに合わせ、腰元の鞘飾りが僅かに揺れた。
黒銀の金具には、小さな蠍が刻まれている。

女主人、カサンドラ・クアンは、大広間にいた。
「――お久しぶりね、レジナルド卿。そちらの方が――」
「トマス・ヴェイルだ。よろしく」
慌てて手を拭うトマスに、余裕の笑顔で白魚のような手を差し伸べ、握手をする。
「では、御用向きに移りましょうか」
いよいよ、この時が来たか――。
サー・レジナルドの背筋に冷たいものが、伝う。
「……なるほど。エレノアが」
傍らのグエット・カムから差し出されるレモンティーに触れることなく、真っ直ぐにレジナルドを見つめる。
「――箝口は本日解きましたので、明日にでも、情報は拡散されます」
「相手にも、ですわね」
黙って頷くレジナルド。
「で――クアン家に御用向きでしょうか。それとも――この私にでしょうか」
トマスは彼女――カサンドラの表情を読む。
先ほどの彼女が纏っていた柔らかな空気は消え、凍てつく――いや、明確な殺気のようなものすら感じさせる。
「――後者」
レジナルドの回答はそこまでであった。
「では、申し上げましょう。これは――取引になります」
こちらの思惑を読んでいるのか。
トマスは素直に感服した。
「ただし、契約書はありません。あるのはただ、真摯な署名へのお覚悟を所望します」
「――署名」
レジナルドは、文字通りには受け取ってはいない。
「グエット・カム、下がりなさい」
その言葉が当然のように、グエット・カムは黙って退室した。
「レジナルド卿に伺いましょう。私を占い師か何かと思われていらっしゃるのかしら」
――違うのか?
トマスは悟られないように、生唾を飲む。
沈黙が、レジナルドの回答だった。

「――『暁(Xiao)』には明確な戒律があります」
一つ、個のために預言をしてはならない。
一つ、預言は等価交換である。
一つ、戒めを破る者には相応の罰が下る。
――何? この女性は、何を言っているんだ?
トマスは最早、感情を隠すことが出来なくなっていた。
「さて、レジナルド卿。あなたの求める預言は――この三つすべてに関わります」
エレノア・ジンという一人のために預言する。第一の戒めを破ることになります。
ゆえに、第二の戒めに従い――等価のものを頂きます。
そして第三の戒めにより――私自身も、罰を受ける。
「それでも――私に預言を求めますか?」
重い沈黙。
レジナルドの言葉一つで、
何かを差し出す代わりに、
目の前の女性が、壊れる。
――その取引へ、署名できるのか。
メフィストフェレスの契約書に署名するのとは訳が違う。
「誤解なさらないで。あなたが私を壊すのではありません」
それは、何の救いにもならない。
「戒めを破ると決めるのは、私です」
――神よ。
「ただし――あなたにも、知らなかったとは言わせません」
柱時計の鐘が、鳴った。
Religiosity=Vibrance
耐えきれず、トマスは退室した。
いや、これから行われる狂気の時間が、怖かったのだ。
しかし、奴は――レジナルドは――。
何か大きな物音がした。
金切り声。
唸り声。
激しく振動する空気。
駄目だ、俺は――。

トランス。
レジナルドは、目の前の情景を、ほとんど機械のように受け止めていた。
そうでもしなければ、正視に耐えられなかった。
先ほどまで、気高く――誰よりも気高く美しかった女性が、
今はまるで野獣のように咆哮している。
美しい髪は乱れに乱れ、
声は金切るように裂け、
周囲の物体は彼女に呼応するように激しく震えていた。
神話の時代の神託とは、このようなものだったのかもしれない。
時間が、突然止まる。
看哪,我的僕從們!三叉戟之海,頹敗與繁榮,那需要祭祀的長矛……閃電,閃電,閃電……
バン!
と、扉が勢いよく開け放たれ、この場に飛び込んだ人影があった。
――グエット・カム。
我願事事順從於你。
一切皆為了你。
我會將你的話銘記於心。
我會將一切記錄下來。
請你……請你饒恕她……!
グエット・カムは、縋るようにカサンドラへ取り付き、必死に荒ぶる女神を鎮める。
直後。
まるで操り糸を断ち切られた人形のように、カサンドラはその場に崩れ落ちた。
カサンドラは――泣いていた。
神託は下された――何かを失いながら。
「――申し上げます」
無反応のカサンドラを全身で支えながら、グエット・カムは、レジナルドに語りかけた。
「西方の地。三叉戟の海に、エレノア様はおられます」
西方。
三叉戟の海。
そこに、エレノア様がおられる。
たったそれだけのことを求めたために。
――目の前の女性を、壊してしまった。
レジナルドは天を仰いだ。
そして――呪った。
壁の辺境伯だけが、変わらぬ眼差しでそれを見下ろしていた。

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