A Person assigned a price tag ― 人間の価値 ―
#01 囚われる白鳥 | #02 猟犬の嗅覚 | #03 追跡と待機 | #04 奈落の花 | #05 取引の価値は
#06 暗澹たる地図
謎は痕跡を残さない
サー・レジナルドは、旧友であり戦友でもあるトマス・ヴェイルを乗せ、アストン・マーチン・ラピードを走らせる。
後部座席には、スキットルを空けるトマス。
「捜査に支障が出ないのか」
レジナルドの問いにトマスは軽妙に、
「この車もガソリンを飲むんだろう?同じさ」
トマスは妙薬でも量るように、ほんの一口だけ喉へ流した。
やがて、白亜の邸宅――マノワール・ド・ルミエールの正門前に到着すると、通用門が運転席からの信号を認識し、静かに開く。
「ご覧の通りだ」
「最低限のセキュリティは働いているということだな」
トマスは窓の外へ目を向けた。
正門を見るでもない。警備装置を見るでもない。
「停止した記録は?」
「ない」
「警報は」
「一度も」
「通信障害」
「それも確認されていない」
「なるほど」
スキットルの蓋が、小さく鳴った。
「――巧妙だな」
「そうだろう」
「いや」
トマスは初めてレジナルドを見る。
「巧妙すぎる」
「出来すぎている――と言いたいわけだな」
レジナルドは後部ドアを開ける。
トマスは降りながら、わずかに眉間へ皺を寄せた。
「大なり小なり、何事にも痕跡は残る。この車だってそうだ。どれだけ静かに停めても、地面にはタイヤの跡が残る」
「足跡を残さなくても、外の微粒子は持ち込む。それと同じか」
「そういうことだ」
トマスは邸宅を見上げる。
「問題は――何を消したかじゃない」
「何を消しすぎたか、か」
トマスが少し笑う。
「勘は鈍ってないようだな」
「職業病だな」
「違いない」
トマスはわずかに口元を緩めた。
「綺麗すぎる現場は、汚れた現場よりよく喋る」
慎重に歩を進めながら、周囲へ視線を滑らせていく。
地面。門柱。植え込み。壁面。
「さあ――俺の鼻の出番だ」
一度だけ立ち止まり、低く言った。
「嗅ぎ取ってやるさ」
「まず――これだ、レジナルド」
トマスは正門から伸びる門壁から突き出る、鋭利な金属――忍び返し――を指さした。
「繊維片だな」
「ロープか何か、引っ掛けたのか」
「そう決めつけるな。忍び返し自体は変形していない。――これはジュートだな」
「ジュート?」
「麻袋や粗い梱包布に使う。衣服じゃない」

「なら、何かを包んでいた?」
「その可能性は高いな――ここを越えたんじゃない。ここに一度、何かを寄せた」
「何かを、持ち込んだということか」
トマスは忍び返しを見上げ、ニヤリと笑った。
「少なくとも、この屋敷に元からあった物じゃない」
「なぜそう言える」
「ジュートを使うような物が、この正門周辺にあるか?」
レジナルドは一瞬考える。
「……ないな」
「なら、外から来た」
トマスは指先で触れぬよう、繊維片を目で追う。
「痕跡を消したつもりで、外から持ち込んだものを置いていった。こういう微細な綻びには、意外と気が回らないものだ」
忍び返しを更に観察するトマス。
「重かったな」
「分かるのか」
「布が引っ掛かったんじゃない。押し付けられている。一人で扱った重さじゃない」
「集団だということか」
トマスは答えず、しばらく忍び返しを見上げていた。
「――まずは一つ目だ」
ゆっくり歩き出す。
「まだまだ拾える」

二人は正面玄関に到着した。
「照明は明るい。監視カメラも数台有るな」
「ああ。コントロール・ルームで管理している」
「だが、電源がなければ、それも台無しだな」
「非常電源は?」
「自動切替だ」
「切替に何秒かかる」
「数秒程度だろう」
「その数秒で十分な仕事もある――芝生の跡に癖があるな。二手に分かれた」
トマスが慎重に芝生の跡を指でなぞる。
「二手?」
「一方は正面寄り。もう一方は壁沿いだ」
「挟み込むためか」
「まだ決めるな。だが、同じ目的で動いてはいない」
トマスの視線の先に、温室が見える。
「あの温室は?」
「エレノア嬢が管理する花樹がある。あと、客人をもてなすテーブルと椅子が四脚ある」
トマスは何も答えず、徐ろに温室へ向かった。
「どうした」
「人は、仕事をした場所より、休んだ場所に癖を残す」
温室独特の湿度が肌を包む。
「温度管理は電動か」
「ああ。換気、散水、照明もここで制御している」
トマスがしゃがみ込む。
「……やっぱりな」
「何がある」
「焦げてる」
「故障か?」
「故障なら、もう少し無作法に壊れる」
「見ろレジナルド、ここにも繊維がある」

レジナルドが覗き込む。
「さっきと同じ?」
「ジュートだ」
「壁際から温室へ。ここで電源系統に細工している」
「監視設備を落とすためか」
「たぶんな。だが――」
トマスは周囲を見遣る。
「目的は停電じゃない」
「停電ではない――?」
語るに落ちた
「ただの停電なら、素人でも出来る。厄介なのは――」
トマスは言葉をそこで切る。
「思い込ませる?」
「ビンゴ」
トマスは親指を立てる。
「電気を止めるだけなら、壊せばいい。だが、こいつらは“壊れた”と思わせた」
「復旧する側の判断まで誘導したということか」
「そうだ。人間は理由を一つ与えられると、それ以上を疑わなくなる」
「認知を逆手に取ったということか」
トマスは膝に付いた土埃を軽く払う。
「停電した。温室設備が故障した。だから監視系統にも影響が出た――そう思わせれば、誰も“誰かが切った”とは考えない」
「だが、お前は考えた」
レジナルドは、少し皮肉を含ませて言う。
トマスは膝についた土埃を払いながら、鼻で笑った。
「俺は故障より、人間を信用してない。――だが、こいつらは上手い」
「素人じゃない」
「ああ」
「だから面白い」
「――賊は、この温室で故意に電気事故を起こし、我々の注意を逸らした。その隙に、主電源そのものをカットした――筋書きとしては立派だ」
「筋書きとしてはな」
「違うのか」
「いや、大筋は合ってる。だが――綺麗すぎる」
トマスは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「温室の事故を見せる。管理側をそこへ向ける。監視系統の異常を“連鎖故障”と思わせる。そこで主電源を落とす」
「合理的だ」
「合理的すぎるんだよ。こういう芸当は俺は好かん。人間味が無いからな」
「内通者がいたと言いたいのか?」
レジナルドの問いに、トマスは頭を振り、否定する。
「一朝一夕じゃない。こいつは――用意周到に事を構えたんだろう。年単位のな」
「年単位……」
レジナルドの表情がわずかに険しくなる。
「つまり、エレノア嬢個人を以前から狙っていた?」
「それもまだ早い」
トマスは温室の外へ視線を移す。
「狙ってたのは嬢ちゃんじゃないかもしれん」
「では何を」
「――この家そのものだ」
「この館を、か」

「ニッポンの捕り物小説にあるだろう。盗賊団が、内通者を何年も前から仕込む」
「内通者を、数年単位で?」
「ああ。下働きとして潜り込ませる。役に立つ。口が堅い。余計なことをしない。そうやって信用を稼ぐ」
トマスは温室の制御盤を見る。
「その間に、誰がどこを通る。誰が何時に帰る。どの設備が、どの順番で止まる。少しずつ覚えていく」
「そして、必要になった時に使う」
「そういうことだ」
ふうむ、と考え込むレジナルド。
「では、内部にまだ協力者がいる可能性があるな」
「可能性はある。だが――仕込んだ奴が、今もここにいるとは限らん」
「あるいは――」
「用済みとして『処理』したのかもな」
レジナルドの表情が硬くなる。
「随分と簡単に言う」
「簡単じゃない。だから嫌いなんだ」
トマスは懐のスキットルに指を掛けた。
だが、取り出しはしなかった。
「人間を――役目で数える奴らはな」
「厄介だな、これは」
レジナルドはシガーを取り出し、一本差し出す。
トマスは軽く手を上げて断った。
「そういう奴らほど――ぼろが出る」
「ぼろ?」
「ああ」
トマスは温室の外へ視線を向ける。
「語るに落ちる、とはよく言うもんだ」
トマスは夜空を見上げる。
月は暈がかかり、朧気な光をたたえていた。
「何も残さないつもりで、考え方だけ残してる」
思考の痕跡
「見ろレジナルド。こじ開けた跡すらないだろう。合鍵を事前に作っているな」
邸内の電源を管理する変電室の鍵穴を見て、トマスは感心するように言う。

「我々の情報はおろか、管理しているものすら、手の内にあったということか」
「全部とは限らん」
「だが、必要なものだけは知っていた?」
「そういうことだ。――こいつらは屋敷を知っていたんじゃない。“使う部分”だけを知っていたんだ。効率のみを追求している連中だな」
「機械的だな」
「軍隊蟻の間違いだろ」
トマスは呆れるように言う。
「一匹一匹は大したことない。だが、列を乱さず動く」
「それが厄介ということか」
「厄介なのは、誰が欠けても仕事が止まらんことだ」
「個の意思は、そこには無いな」
「軍ではこういうのは教えないだろう、レジナルド」
「そうだな。少なくとも教育方針に入れない。命令に従えとは教える」
「だが、考えるなとは教えない」
「そういうことだ」
「良い教官だよ、お前は」
トマスは笑う。
「昔から口だけは達者だった」
「君にだけは言われたくないな」
レジナルドもつられて笑う。
だが、トマスの視線はすぐに変電室の奥へ戻った。
「――さて。昔話はここまでだ」
「何か見つけたか」
「いや。何も無い――と言いたいが」
「勿体ぶるな」
「配線を繋いだ痕跡がある。おそらく簡易なタイマーを仕掛けたな」
温室で異変を起こす。
注意が一瞬削がれる。
主電源にタイマーを仕掛け、瞬時の時間を稼ぐ。
「その僅かの時間に、邸内に侵入したということか」
「侵入、ねぇ」
トマスは鼻で笑う。
「堂々とな。良い客人だよ、まったく」
「なんて奴らだ」
「あとは賊の独壇場だ。邸内の護衛を瞬時に沈黙させる。簡単なお仕事ってわけだ」
「精鋭揃いなのだがな」
「いかな精鋭でも、人間は生き物だ。夜は集中も落ちる。慣れた場所ほど、警戒は薄くなる」
トマスは続ける。
「連中は強いんじゃない。人間が弱くなる時間を知ってるのさ。だから厄介と言った」
「閃光弾でも数秒は稼げる。意図的な停電なら尚更だな」
「で、嬢ちゃんは、堂々とお客様と退場したのさ」
「連れ去られたのでは?」
「見ろ。絨毯に捩れの一つも無い。少なくとも――ここでは激しく抵抗していない」
「なぜ抵抗しなかった?」
脅された。
騙された。
知っている人物がいた。
あるいは、抵抗すれば他者に危害が及ぶと即座に理解した――?
「連中は人間が弱くなる時間を知ってる。なら――嬢ちゃんがどういう人間かも知ってたはずだ」
「エレノア嬢の行動パターンも?」
「頭の中もな」
レジナルドの表情から、わずかに血の気が引く。
「そこまで調べていたというのか」
「だから年単位と言ったんだ」
トマスは静かに室内を見回した。
「嬢ちゃんを攫ったんじゃない」
「……何?」
「自分から歩くように仕向けたんだ」
「エレノア嬢が――奴らと同行することを選んだと?」
「ガウンが無い」
トマスは、執務室の中を指さした。
「考えても見ろ、レジナルド。抵抗する人物が、わざわざガウンもろとも持って行くか?」
それはない、とレジナルドは首を振る。
「つまり、少なくともその場では“連れて行かれる”覚悟を決めた」
「脅迫か」
「それもある。だが、もっと厄介なのは――自分で納得させられた可能性だ」
「抵抗することが――二次被害を生むと考えたと?」
「嬢ちゃんの性分ならありうる話だ」
「なら、彼女は最初から自分が人質になると理解していた?」
「そこまでは分からん」
トマスは首を振る。
「だが少なくとも、“今ここで逆らうより、ついて行く方がましだ”とは判断したはずだ」
「拉致では――無い」
レジナルドの言葉に、
「自分の意思での同行が正しいな」
トマスが続ける。
「そら恐ろしい計画性だな」
「そういう敵を相手にしているということだ、レジナルド」
トマスがそう言うと、不意に携帯電話のコール音が響いた。
懐中からレジナルドはスマートフォンを取り出し、
「どうした、クロード」
『あずきとそら、という人物を知っているか』
「エレノア嬢の相談相手としてなら、知っているが」
『彼をこの件に近づかせてはならん』

レジナルドが少し怪訝に、
「――理由を聞いても?」
『クアン家経由で、私に探りを入れてきた』
確かに彼ならば、少しの異変を手がかりにエレノア嬢とオリュンピュアの関係まで、容易に到達するだろう。
そういう危うさが、ある。
『クアン家とはエレノアが協定を締結しておるので、無碍に拒否は出来ん』
「では、どうすればいい、クロード」
『”クバネティスの巫女”に手を回しておいた。暫くは時間が稼げるだろう』
「クバネティスの巫女、か」
レジナルドの声に、僅かな渋みが混じる。
『不満か』
「いや。彼女なら確かに足止めは出来るだろう」
トマスが横から片眉を上げる。
「随分と物騒な巫女らしいな」
レジナルドは通話口を手で覆い、
「説明すると長い」
「じゃあ後で聞く」
トマスはスキットルの蓋を緩める。
『ただし、彼女とて時間はそうは稼げん。もって一週間が限度だろう』
「――何か変化はあったのか」
『いや、表立っては無い。ただし――船舶保険の料率が急騰している』
「航路に何かあるのか」
『まだ断定は出来ん。だが、引受側が何かを恐れている』
「海じゃ、噂より保険屋の方が鼻が利く」
ウイスキーで饒舌に拍車がかかったのか、トマスが口を挟む。
『――彼が切り札かね』
「最高の札だ」
そうか、とクロードは言うと、通話を切った。
「――厳しくなった」
「俺たちは幾重も戦禍を潜り抜けてきた」
トマスはスキットルの蓋を閉める。
「今回が例外じゃないさ」
そう言って、懐へしまった。

「グランマ、僕に何か」
同時刻、アントルム・マートリスにて、あずきとそらは館の主――アルマ・ケレスに対面していた。
アルマは、琥珀のコムボロイに触れながら、
「今は動いてはなりません」
「――エレノアの姿が見えないのに、何もするな、と仰るのですか、グランマ?」
「はい」
「何故です」
「今は答えられません」
「答えになっていません、グランマ」
「そうでしょうね」
アルマはコムボロイを一粒送る。
「ですが、今あなたに答えを与えることは、あなたを動かすことと同じです」
「……どういう意味です」
「あなたは、知れば動くでしょう」
「当然です」
「だから、今は知らなくていいのです」
「アイツ――レオはどうしました?アイツも姿が見えませんよ」
「レオは別件で行動しています」
「ならば、僕も――」
「なりません」
「何故です!」
「あなたは――そうやって答えを求めることに執念を向ける。その執念が解かれるまで、あなたには何も知ってはならないのです」
「レオにはレオの仕事があります」
「僕には無いと?」
「今はありません」
「……」
「それを受け入れることも、あなたの仕事です」
「こんな仕事――嫌です」
「問いを求めないこともまた、自由の編集と言えば、あなたはどうしますか?」
「……それは、逃げではないのですか」
「逃げることと、選んで待つことは違います」
「結果が悪かったら?」
「その時は、待つと決めた自分にも署名なさい」
グランマの言葉を、噛みしめるように。
そして、握りしめるように。
沈黙という無情の時間が、思考の森を包み込んでいった――。
この文章のそばに、灯りを。
名前も言葉もいりません。もう一度押すと取り消せます。



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