A Person assigned a price tag ― 人間の価値 ―
#01 囚われる白鳥 | #02 猟犬の嗅覚 | #03 追跡と待機 | #04 奈落の花 | #05 取引の価値は
#06 暗澹たる地図
紳士的侵入劇
マノワール・ド・ルミエール。
静寂の湖畔に佇むように存在する「光の館」の執務室に、館の主――エレノア・ジンは居た。
最近の彼女の執務時間が長くなるのには、少々理由がある。
例えば、エレノアが管理している自然公園にて、密猟の痕跡があること。
単に密猟者が無法な狩りを行っているのではなく、静かに、小動物の数が減少している。
罠もない。薬莢すらもない。
ただ、小動物の数が、減少している。
報告書類に目を通しながら、彼女はその不可思議な現象に思索を深めていた。
目的が分からない。
不法な毛皮や角の流通を探った。
――痕跡すらない。
冷え切ったハーブティーを一口含み、溜息をつく。
その時、大時計の鐘が鳴る。
もう、こんな時間か、とエレノアが書類を整えたその時。
照明が落ちる。
館には非常時の停電に備え、補助発電装置が働くはずだ。
しかし、照明が復活するそぶりが無い。
エレノアは携帯ランタンを持ち、執務室を出ようと立ち上がる。
ドアから三度、乾いたノックの音がした。
レジナルド卿だろう、と、彼女は、
「どうぞ」
と、返答する。
ぎい、と軋みながらドアが開く。
「夜分失礼致します――エレノア・ジン様で有らせられますな」
「どなたかしら」
ランタンの光に浮かぶその姿は、粗暴な侵入者のものではなかった。
立ち位置に無駄がない。声にも熱がない。
まるで、最初からこの館の沈黙すら計算していた者たちのようだった。
「命により、貴女様にご同行願います」
「お断りしたらどうなるのかしら」
「廊下で眠っている方々と同様になります」
数名の男たちが左右へ身を引く。
その向こうには、床に伏せる数名の女中。
「ご安心を――危害は加えておりません」
「そのようですわね」
相当の手練れ――と、彼女は見遣る。
自分の周囲に巧妙に配置された者たち。
停電から幾許も経たぬうちに、自身の場所を特定し、警備の者を全て沈黙させている。
「夜風はお寒うございますので、お召し物を」
不審者の一人が、ガウンを手にエレノアへ声を掛ける。
「お気遣いなく」
「失礼致しました。出過ぎた真似を」
「随分と丁重ですこと。人を攫いに来た方々とは思えませんわね」
「貴女様への無礼は慎むよう、厳命されております」
――厳命。
この者達だけではない、ということか。
「分かりました。お気持ちは承りましょう」
恭しく差し出されたガウンを受け取り、エレノアは、歩みを進める。
しかし――
カチン。
金属同士が触れ合う、小さな音。
エレノアが視線だけを向ける。
いつ抜き取られたのか、一人の男の掌に小型のデリンジャーが載っていた。
「失礼致しました――ご婦人には少々不釣り合いでございますな」
「――お見事」
「では、ボディ・チェックは省かせていただきます――ご同行を」

エレノアは頷き、今度こそ彼らに従う。
扉が静かに閉じられた。
『対象確保。離脱する。オーバー』
短い通信だけを残し、一行は夜の闇へ消えていった。
マノワール・ド・ルミエールには、銃声ひとつ響かなかった。
壊された扉もない。
血痕もない。
ただ――館の主だけが、いなくなった。
交渉/強要
時間は経過し、北アイルランド、ベルファスト。
港湾近くにあるその広大な敷地に『ジン人間尊厳財団』は存在する。
24時間絶えることのない、人々と運搬機材が稼働するその組織は、本日も膨大な物資がコンテナに格納され、組織が管理する船舶に積み込まれている。
ジン人間尊厳財団は、医療・教育・難民支援・災害復興・感染症対策・児童保護を通じて世界へ介入する、巨大な国際機構である。
主な活動領域は、難民支援、医療アクセスの確保、児童保護、紛争地における教育支援、災害復興、感染症対策。
各国政府、国連系機関、大学、病院、NGO、報道機関に広範なネットワークを有し、支援物資、医療人材、輸送経路、現地協力者、情報記録を統合することで、いわば「合法的な慈善介入」を実現している。
『合法的な介入』とは、即ち紛争地帯への救済活動であると同時に、戦場と災害の現場に残された不都合な痕跡を記録する、逃れ得ぬ『人道上の監査網』でもある。
最上階の巨大液晶ディスプレイで、船舶識別番号の軌跡を追う男。
ジン人間尊厳財団の創始者、クロード・ジンその人である。
「クロード卿」
部下の声に、視線を向ける。
「発信元不明の信号が、先ほどから断続的にこちらへ」
「音声かね、それは」
「いえ――ッ!」
通信手の悲鳴と共に投げ捨てられたヘッドホンマイクが、床に転がる。
直後、前面の液晶ディスプレイにノイズが走る。
『クロード卿とお見受けする』
ディスプレイをジャックする、巨軀の男。

「いかにも。私がクロード・ジンだ」
『お初に目にかかる。デイモス・クロスだ』
「何者だ」
『オリュンピュア財閥――ネメシス執行隊、と申し上げればお分かりかな』
「オリュンピュア――だと」
彼はその名を知っている。
いや、嫌というほど思い知らされている、といった方が正しい。
世界の海運へ深く根を張り、各地の紛争にも影を落とす巨大コングロマリット。
ジン財団が人道物資を運ぼうとする時、その航路の向こう側に、幾度となくその名があった。
「……娘をどうした」
デイモスは少し間を置き、
『流石にお察しが早い』
「戯言は良い。エレノアは――」
『無論、ご令嬢は丁重にお預かりしている』
さも当然のように言う。
「娘はこの件とは何の関係もない。直ぐに解放しろ」
『それは出来ませんな』
「何だと」
『命令ですので』
『ま、戯言は終いにしましょう。我々の要求を受けて頂ければ、それで結構』
「断れば」
『お分かりでしょう』
「――エクバタナか」
『察しが早いですな。財団の物資を即刻、止めていただこう』
「馬鹿な! 今、救援物資を止めれば――医薬品が三日ともたん。浄水設備も止まる。避難民キャンプだけで何千人いると思っている!」
『只では済まんでしょうな』
「貴様ッ――!」
『彼の地には我々が物資を供給しますのでご心配なく』
「……貴様ら、配給網を使う気がないな」
デイモスが嗤う。
『必要がありますかな』
「食料と医薬品を無秩序に流せば、武装勢力が奪う。市場へ横流しされる。避難民同士まで争わせる気か!」
『物資は届く。受け取る者もいる。――我々は約束を違えておりません』
「クロノスが――慈善活動をするはずがなかろう!」
『地獄絵図でしょうな。資源の奪い合い。物資の略奪。戦況はますます混迷を来しますな』
「それが目的か」
『目的?』
デイモスは僅かに眉を上げる。
『結果ですよ、クロード卿』
「詭弁を――」
『我々は物資を提供する。誰がそれを奪い、誰が独占し、誰が殺し合うか――それを決めるのは、彼ら自身でしょう』
「エクバタナの内乱をこれ以上拡大させる気か!」
『コストですよ、閣下』
「……何?」
『秩序を動かすには、相応のコストが必要になる。それだけのことです』
「誰のコストだ」
デイモスの表情から、僅かに笑みが消える。
「貴様らが払うのか」
『――』
「違うだろう」
クロードは画面の巨漢を睨み据える。
「飢えるのは貴様ではない。薬を失うのも、子を抱いて逃げ惑うのも貴様ではない」
『……』
「他人に払わせるものを、コストなどと呼ぶな」
『必要とあらば、我々も払いますよ』
「ならば勝手に払え。エクバタナの民を勘定に入れるな」
『意見の一致を見ませんな。では、ご令嬢は我らが丁重にお預かりいたします』
「待て! 話は終わっておらん! エレノアを出せ!」
『ご心配なく。ご令嬢には、素敵な楽園をご用意しておりますので――では、失敬』
ブツッと一方的に映像は切られる。
「エレノア――」
クロードはおもむろにスマートフォンを取り出した――。
茶番劇
「――上出来ね」
ケラケラと嘲笑うように、かの電脳の魔女――エリス・ヴェインは、デイモスの様子を見遣りながら、黄金の林檎を弄んでいた。

「――ふん、お前の手助けは要らぬ」
「あら、感謝してほしいわね。あなたどうやって、ベルファストまでコールしようとしたわけ?」
「普通にやってもこちらまで逆探知はされん」
「見せ方よ。父と娘の感動の場面を演出しようとしたのに」
「――悪趣味だ」
タロス・グレイブスは、イージス・コアの操作盤を操作しつつ、魔女の言葉を一蹴する。
「それにしても、『素敵な楽園』ですって。あなたも随分と役者じゃない」
「事実だろうが」
「そうね――彼処なら、確かに」
「エレノア・ジンは、『奈落の楽園郷』の別セクションに幽閉した。『彼女』には接触しない」
タロスは事務的に言う。
「パラダイス・オブ・アビス――ふふ、素敵な楽園だこと」
「クロノスCEOへの報告は済んでいるのか、タロス」
「問題ない」
「それで? エレノアお嬢様は、今頃泣いているのかしら」
「そんな女ではない」
エリスが少し目を細める。
「そう。楽しんでいれば良いわね。ところで――クロード卿、誰かに電話していたわよ」
「誰にだ」
「さあ? それはあなたのお仕事ではないかしら」
そう言いながらエリスはその場を後にする。
「――食えん女だ」
デイモスが吐き捨てるように言う。
「あれは魔女だ」
タロスは操作盤から視線も上げず、淡々と言った。
――白鳥を囚え、彼らの茶番劇は幕を下ろす。
この文章のそばに、灯りを。
名前も言葉もいりません。もう一度押すと取り消せます。



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