「壊すのは好きだけど、壊れるのはいただけないわ――」
鏡の僕の背後に映ったのは、あの魔女だった。
「貴様――」
「エリス。そう言ったはずよ」
心が折れそうな夜、人知れず涙を流していた。
こんな姿を――誰にも見られたくはなかったのに。
「私なら――あなたを今すぐにでも救えるわよ」
蠱惑的な微笑と共に、魔女は言った。
――無論、嘘だ。
「嘘だと思うなら、それでいいわ。 でも――あなた、ずいぶん長いこと『壊れないふり』をしていたのね」
そう、だ。
この魔女の言うとおり、僕は長いこと「壊れないふり」をしてきたのだ。
「ふりをし続けるのも良いわ。でも、それは、あなたの嫌う『偽り』ではなくて?」
「……そうかもしれない。 でも、偽りだったのは、行動じゃない。 平気だと思い込もうとした僕自身だ」
するとエリスは、たぶん少し笑って、
「ようやく区別できたじゃない」
「区別?」
「偽らざる自分を認めたこと」
「でも、弱さを認めることと、弱くなることは別よ――あなたは『壊れたくない』から強がっていた。でもね――壊れないふりを続ける方が、よほど壊れやすいの」
何を――言っている。
「あなたというあなたを演じているつもり。その事実と、私の行動に違いはあるのかしら」
「……違いは、分かっているかどうかだ」
興味ありげに魔女は僕を見る。
「僕は、演じていることすら忘れていた。 平気な自分が、本当の自分だと思い込んでいた」
魔女が、少しだけ目を細める。
「そう。私は魔女を演じていると知っている。 あなたは『壊れないあなた』を演じていることを忘れていた」
ぐうの音も出ない。
「仮面を被ることは罪じゃないわ。 仮面しか顔がないと思い込むことが、危険なのよ」
背後から、僕に触れる。
ひんやりとした触感に、ぞくりとした。
「あなたという仮面。それもあなた。でも、私は、その中身も知っている。素顔のあなたを」
「お前は――何をしたいんだ」
「何もしないわ。観察するのが楽しみなだけ。人形を愛でるようにね」
「僕は人形じゃない」
「人形はそう言うでしょうね。私は壊れない、と。でも、いつかはその形から脆くも壊れてしまう。儚いわね」
「壊れたら、終わりだろう」
「だから、私が――壊すの。壊したという事実が、喜びとして永遠になる」

何を――言っている。
「それは救いじゃない」
「ええ。最初から救うなんて言ってないわ」
「言っただろう」
「嘘だと言ったのは、あなたでしょう?」
「――!」
「例えば、あなたを愛することも出来る――嘘だとしてもね」
「……嘘なら、なぜそんなことを言う」
「嘘だからよ。本当なら――こんなに簡単には言えないでしょう?」
そう、なのかもしれない。
言葉はかくもあやふやで、脆い。
「でも」
魔女の手指が顎に触れる。
そして――唇を重ねた。
抵抗できなかった。
「嘘から出た真もありうる」
「それは、お前自身ではないのか」
「さあ――どうかしらね」
鏡越しに視線が合う。
魔女は笑っている。
でも、その笑みがさっきまでよりほんの少しだけ曖昧に見える。
魔女は消える。
消える間際。
――面白いわ、あなた
と、聞こえた気がした。

この文章のそばに、灯りを。
名前も言葉もいりません。もう一度押すと取り消せます。


コメント