遥かなる伝説の時代、この世に邪悪がはびこりし時、一人の武者が現れた。
その武者、正しき心を力とし妖邪帝王・阿羅醐を討伐する。妖邪帝王の野望を打ち砕くも、残された鎧の怨念を浄化すること敵わず。
その武者、正しき心「仁義礼智信忠孝悌忍」を鎧に刻み込み、九つの鎧へと分ける。
時は現代(1988年)、再び妖邪界が人間界を支配せんと目論む。
大東京・新宿上空に妖邪帝王の城「阿羅醐城」が出現、その妖邪の力に現代科学・兵器は全て沈黙した。
その時、その妖邪帝王・阿羅醐の野望を打ち砕かんとする5人の少年らが立ち上がった!
その名を「サムライトルーパー」――。

当時の僕にとって、アニメ番組を追いかけることが週のルーチンだったと思う。
その中で最も期待が高まっていたのが、
『鎧伝サムライトルーパー』
であった。
当時絶大な人気があり、追随を許さなかった『聖闘士星矢』が同時期に存在し、自分としては久しぶりの土曜夕方枠のアニメでもあり、
「どんな内容なんだろう?」
と、予備知識もほぼない状態で、固唾を飲んで放送を待っていた。
――オープニング。
闇。
雷鳴。
閃光の中に、五人の少年の姿が浮かぶ。
異様な城。
おどろおどろしい妖邪たち。
鎧を纏った戦士たちの死闘。
勇ましい。
激しい。
そして、何より格好いい。
だが、その映像の中に、一瞬だけ異質なものが差し込まれる。
少年の涙――。
当時の僕は、その意味など考えもしなかった。
けれど今振り返れば、あの一滴の涙こそが、『鎧伝サムライトルーパー』という作品を、最初から語っていたのかもしれない。
これは、鎧を纏えば傷つかなくなる少年たちの物語ではない。
傷つきながらも、それでも鎧を纏い続ける少年たちの物語なのだ。
音楽は前へ進めと叫んでいる。
しかし映像は、彼らが決して無傷では済まないことを予告している。
第一話からして、少年たちは決して無敵ではない。
妖邪兵と呼ばれる先兵を相手にしてなお、五人は苦戦する。
圧倒するのではない。
むしろ、生身では勝てないことが、早々に示されるのだ。
だからこそ、あの瞬間が生きる。
「武装! 烈火ぁーー―ッ!!」

鎧擬亜『烈火』の召喚シーンである。
錦の反物が、周囲を縦横無尽に駆け抜ける。
それは単なる装着演出ではない。
まるで古き伝承そのものが現代へ甦るかのような、美しくも荘厳な儀式だ。
反物は少年――遼の身を覆い、天へと駆け上がる。
そして最後には、桜の花びらのように舞い降りる。
戦いのための武装でありながら、その光景はどこか神々しい。
荒々しい力の発露というより、選ばれし少年が、鎧に応えられる者として立ち上がる瞬間に見えた。
当時の僕が『鎧伝サムライトルーパー』に惹かれた理由の一つは、紛れもなくこの「儀式」と「様式美」だったのだと思う。
ここは説明が難しい。
『聖闘士星矢』において、聖闘士が聖衣を纏うことは、僕には「武装強化」に近く見えていた。
彼らは、そもそも生身の時点で鍛え抜かれた戦士である。
小宇宙を燃やし、拳を武器として戦うことのできる者たちが、さらに聖衣を身に纏う。
ところが、サムライトルーパーには少し違う感触があった。
生身では、妖邪には敵わない。
だから鎧を纏う。
しかし、ただ装備すればよいのではない。
その力を使うためには、必ず一つの「儀式」を通過しなければならない。
「武装」と叫ぶ。
錦が舞う。
少年の身体を包む。
天へ駆け上がり、やがて桜となって降り注ぐ。
子供だった僕には、それが単なる変身シーンには見えなかった。
必要だから使う。
だが、その力は気軽に手に取れるものではない。
そんな一種の「畏れ」が、あの武装の様式美には宿っていたように思う――。

「――マスター、根を詰めても何ですから、ここで休憩にしませんか?」
彼女、クロニカ・L・エディティアの声に、僕――あずきとそらは、執筆をそこでいったん止めることにした。
「いい香りだね。スコーンだね」
「たった今の焼きたてですよ――今回のお題は……まぁ、サムライトルーパー!」
「そう、サムライトルーパー」
彼女の手からコーヒーと焼きたてのスコーンを受け取り、僕は小さく笑った。
クロニカは、机の上の原稿へ視線を落としている。
どうやら、思った以上に読み込んでいるらしい。
「でも、マスター。少し不思議ですね」
「何が?」
「ここまで読んでいると、鎧そのものよりも、その鎧を纏うまでの時間について書いているように見えます」
僕は、手にしたコーヒーを一口飲んだ。
「……たぶん、そうなんだと思う」
「強くなる瞬間ではなく?」
「うん。強くなるために、一度立ち止まる瞬間、かな」
「……マスター、これ、鎧の話ではありませんね?」
彼女の洞察はいつも鋭いので、とても好ましく思う。
「うん。たぶん――少年の話なんだ」
少年は鎧擬亜に選ばれたのか
「仁義礼智信――でしたっけ、主人公たちはその象徴と信念に戦い、時には迷う。南総里見八犬伝をうまく換骨奪胎してますね」
彼女が、彼らの『仁義礼智信』から『南総里見八犬伝』を連想するのは極めて自然だ。
だが、僕にはひとつ引っかかることがあった。
「クロニカ。彼らは、その徳を持っていたから鎧に選ばれたと思う?」
「……違う、と?」
「分からない。ただ、見ていると逆にも思えるんだ」
少年たちは、完成された『仁』『義』『礼』『智』『信』の体現者ではない。
迷う。
怒る。
疑う。
傷つく。
それでも、その文字を背負った鎧を纏わなければならない。
ならば、あの鎧は勲章ではなく――
課題だったのではないか。
「課題、ですか。先日のお話にあった、テッカマンとムテキングとはまた違いますね」
「そうだね。テッカマンは『命を削る力』だった。ムテキングは『自由になる力』だった」
「では、サムライトルーパーは?」
僕は少し考え、カップを置いた。
「――『自分がその鎧にふさわしいか、問い続けられる力』かな」
クロニカは少しだけ目を細めた。
「それは、ずいぶん厳しい鎧ですね」
「うん。だから勲章じゃない。課題なんだ」
彼女は一口、スコーンを口に運び、
「つまり、一度合格すれば終わりではないんですね」
と、言う。
「そう。むしろ逆だと思う。鎧を得てからが始まりなんだ」
クロニカはコーヒーを飲み、
「仁を掲げたなら、仁であり続けられるか。義を掲げたなら、義を失わずにいられるか」
そう繋げる。
「だから彼らは、鎧を取り戻すたびに――自分自身も取り戻している」
少年たちの正義、敵側の正義
「でも、マスター。残りの3つ、忠孝悌はどうなるのでしょう」
「――そこなんだ」
僕は少し身を乗り出した。
「正確には、残りの四つは、忠・孝・悌・忍。そして、それを背負っていたのが――敵側の四魔将なんだ」
「……では、敵にも徳がある?」
「そう。そこが面白いんだ」
彼女は掴んだスコーンを口元へ運び、
「善と悪で、徳目そのものを分けてはいないんですね」
「むしろ逆なんだと思う。『忠』は、何に忠義を尽くすかで善にも悪にもなる」
「阿羅醐への忠義でも?」
「本人がそれを正義だと思っているならね」
徳は、それ単独では正義を保証しない。
忠誠心は美徳にもなる。
しかし、誤った主人への絶対的忠誠は、容易に暴力の装置にもなる。
「では――少年たちも自身の『徳目の表裏』に揺れていたのでしょうか?」
「――そうだと思う。ただし、単純に『徳が悪徳へ反転した』というより、徳ゆえに迷うんだと思う」
- 遼の「仁」は、人を思うからこそ、失う恐怖や怒りに変わり得る。
- 秀の「義」は、正しさを貫こうとするほど、頑なさや無鉄砲さにも近づく。
- 征士の「礼」は、自制や節度である一方、感情を抑え込み、他者との距離にもなり得る。
- 当麻の「智」は、状況を見抜く力である一方、考えすぎれば逡巡や冷徹さにもなる。
- 伸の「信」は、人を信じる強さであると同時に、裏切りや疑念に最も傷つきやすい徳でもある。
つまり、徳には、それゆえに生まれる影がある。
「……なるほど。『仁』を持つ人間だから、いつも慈悲深いわけではない。むしろ仁を大切にするからこそ、仁を踏みにじられた時に激しく怒る」
「そう。『信』を持つ人間だって、最初から誰も疑わない聖人じゃない。信じたいからこそ、疑ってしまうこともある」
「では、鎧の文字は性格診断ではないんですね」
「うん。たぶん――その少年が一生かけて向き合う問いに近い」
鎧に「仁」と書いてあるから遼は仁そのものなのではない。
むしろ、
「お前にとって仁とは何だ」
と、生涯問い続けるために「仁」を背負わされた。
これは四魔将にも同じことが言えるだろう。
だから善悪双方を貫いているのは、
徳を持っているかどうかではない。
その徳と、どう向き合ったか。
なのではないだろうか。
正義とは、正しい文字を背負うことではない。
その文字の意味を、自分自身で問い続けることなのではないか――。
鬼魔将・朱天――『忠』
「ここでとても良い教材的な人物がいる――鬼魔将・朱天」
「のちに迦雄須の遺志を受け継いだ存在ですね」
「そう。だからこそ、彼は面白いんだ」
僕は、少し考えてから言葉を継いだ。

「朱天が背負っているのは、『忠』だ」
「忠義、忠誠――ですね」
「うん。でも、忠誠心というのは厄介だ。誰かに忠実であること自体は、美徳にもなる。だけど――」
「忠誠を向ける相手を誤れば、その美徳そのものが人を縛る」
「その通り」
僕は、スコーンを齧る。
朱天は、忠を失ったのではない。
むしろ逆だった。
彼は最後まで「忠」という徳から逃げなかった。
ただ、その向け先を変えた。
阿羅醐という主人への忠誠から、
自らが正しいと見定めた意志への忠誠へ。
それは裏切りではない。
彼にとって初めて、自分自身の「忠」を引き受けた瞬間だったのではないか。
「……では朱天は、『忠』に背いたのではなく、『忠』を取り戻した?」
「僕は、そう思う」
「主人を変えたのではなく、忠誠という言葉の意味そのものを、自分で選び直した」
「うん。だから彼は、ただの寝返りでは終わらないんだ」
朱天にとっての課題は、
「誰に忠義を尽くすか」ではなく、
「自分にとって忠とは何かを、自分で決められるか」
「主体性、か……」
「うん。『忠』という言葉を誰かに預けたままなら、それは服従になり得る。でも、自分で意味を選び、その結果まで引き受けるなら――それは信念になる」
「同じ『忠』なのに?」
クロニカは、空になった僕のコーヒーカップに次を注ごうとしたので、僕は軽く感謝の仕草をした。
「同じ文字でも、違うんだ。誰がその意味に署名したかで」
「では、主体性とは『正しい答えを選ぶ能力』ではない?」
「違うと思う。むしろ――自分が選んだ答えを、自分のものとして引き受けることじゃないかな」
阿羅醐の分離体としての『鎧』
「妖邪帝王・阿羅醐の力を、若き武者であった迦雄須が、鎧を九つに分け、迦雄須が徳目を込めて封じたのですよね、確か」
「そう。そこが、この作品の徳目論をさらに厄介にしているところなんだ」
「ではマスター。鎧は、善の力そのものではない?」
「うん。少なくとも、最初からそうだったわけじゃない。むしろ危険なものを、徳によって制御している」
彼らは、ただ「正義の武具」を使っているのではない。
邪悪の残滓を内包した力を、自分の徳によって使いこなそうとしている。
鎧は少年の徳を証明する勲章ではない。
むしろ、
お前は、この危険な力を本当に『仁』として使えるのか。
お前は、この力を『義』として振るえるのか。
と、毎回問い返してくる存在だということ。
「では、マスター。彼らの『武装』とは――」
少年たちが鎧を纏うとは、何を纏うことなのか。
「ここは僕の推論として聞いてほしい。――あの『儀式』は単なる武装ではなく、自分の内側に危険を抱え、その意味を自分で決め続ける行為として、僕は読めると思う」
「ムテキングの『正義の叙任』、テッカマンの『正義への献身』に通じるものがありますね」
「そうだね。ただ、サムライトルーパーはそこからもう一段ひねっている気がする」
「ひねっている?」
「ムテキングは、正義の側へ立つための叙任。テッカマンは、正義のために自分を削る献身。でも彼らの武装は――」
僕は少し言葉を探した。
「自分が背負った徳を、危険な力の中でどう保ち続けるか。そのための自己統治なんじゃないかな」
「自己統治……」
「うん。鎧が善だから安心して使えるんじゃない。むしろ逆だ。危険なものだからこそ、『仁として使う』『義として使う』『信として使う』と、自分で決め続けなければならない」
「では、武装のたびに――」
「毎回、署名しているんだと思う」
「私はこの力を、この徳の名において使う」
という宣誓。
儚い彼らの青春を――賭けて。
「だから、あの一瞬の涙が――美しいのですね」
僕は答えず、しばらくカップの中を見つめていた。
鎧は、涙を止めるためのものではない。
涙を流してなお、自分の徳に署名するためのものだったのかもしれない。
鎧を脱ぎ捨てた先に
「……では、鎧は最後まで必要だったわけではない?」
「いや。必要だったと思う」
「でも、最後には奪われる」
「だからこそ必要だったんだよ。鎧は答えじゃなかった。彼らが答えに辿り着くまでの――課題だった」
「最終盤、妖邪帝王・阿羅醐は8つの鎧を自らの手に取り戻し、実体化しますよね」
「ああ、そうだね。あれは最大の危機だ」
「でもマスター。それまで彼らは、鎧と共に戦ってきた」
「うん。だから最大の危機なんだ。武器を失ったからじゃない」
「では?」
「自分たちの力の根拠そのものを、奪われたように見えるからだよ」

確かに彼らは鎧を奪われる。
でもそれは同時に、
彼ら自身が「何を信じるか」、いや「何者なのか」を問われる重要な場面なのだろう。
むしろ最後に示されるのは、
徳は鎧の中にあったのではない。
仁も、義も、礼も、智も、信も。
鎧を纏っていた時、少年たちは徳を背負っていた。
だが鎧を奪われた時、初めて問われる。
その徳は、本当にお前自身のものになったのか。
鎧がなくても、自分は何者なのか。
その答えに、自分自身で署名しなければならない。
鎧は、彼らを強くした。
けれど最後に必要だったのは、鎧ではない。
鎧がなくてもなお、自分の徳を選び続ける意志だった。
「で、彼らは妖邪帝王・阿羅醐に自らの『徳』を刻み込むために、阿羅醐に飛び込む――」
「美しいシーンだと思う。でも、それは――」
僕は少しだけ言葉を選んだ。
「いわゆる自己犠牲の突撃じゃないと思う」
「違う、と?」
「うん。死ぬために飛び込んだんじゃない。阿羅醐の中へ、自分たちの『仁』『義』『礼』『智』『信』を持ち込むために飛び込んだんだ」
「自らを捧げるのではなく――」
「自らを刻み込むために」
「では――あれは最期の攻撃ではなく、最期の自己決定?」
「そう。僕にはそう見える」
「阿羅醐に呑み込まれに行くのではなく、阿羅醐の内側でなお、自分であることを選ぶ」
「うん。だから美しいんだ」
自己決定の物語
この作品で積み重ねてきたのは、
「正義のためなら自分を消してもよい」
ではない。
むしろ、
どれほど巨大な力に呑み込まれようとしても、自分が何者であるかを他者に決めさせない。
その物語だった。
彼らは、鎧によってただ強くなっただけではない。
鎧を通して、自分が何者であるかを問い続けた。
そして最後には、鎧という拠り所さえ奪われかけた場所で、
それでもなお、自分自身であることを選んだ。
だから、あの戦いは美しい。
そして、あの少年たちの涙は尊い。
ムテキングは、少年に正義を託した。
テッカマンは、その正義のために命を削った。
そして、サムライトルーパーは問いかけた。
――その正義は、本当にお前自身が選んだものなのか。
鎧を与えられたから戦うのではない。
徳の文字を背負わされたから、善人になるのでもない。
迷い、傷つき、時には自らが信じていたものさえ疑いながら、
それでも最後には、自分自身で選ばなければならない。
仁とは何か。
義とは何か。
礼とは何か。
智とは何か。
信とは何か。
誰かが用意した答えを纏うのではない。
その意味を、自分の人生で引き受ける。
だから彼らにとって鎧とは、正義の証明ではなかった。
むしろ、問いだった。
「お前は何者なのか」
その問いは、最後には鎧さえ奪い去る。
それでも彼らは立った。
鎧がなくても。
誰かに正しいと認めてもらえなくても。
巨大な力に呑み込まれようとしても。
自分が何者であるかを、他者には決めさせない。
そして少年たちは、自らの身体で最後の署名をする。
「私は、この徳を選ぶ」
それは、自己犠牲だけではない。
自分を消すための戦いではない。
むしろ最後の最後まで、
自分自身であり続けるための戦いだった。
ムテキングが「正義の叙任」を描き、
テッカマンが「正義への献身」を描いたのだとすれば、
『鎧伝サムライトルーパー』が描いたものは、
正義への自己署名――自己決定の物語だった。
だから、あの少年たちは美しい。
強かったからではない。
傷つかなかったからでもない。
傷つき、迷い、涙を流してなお、
自分が何者であるかを、自分自身で選び続けたからだ。
――傷つくも、気高き魂の息吹。
あの一瞬の涙は、
きっとその証だったのだ。

この文章のそばに、灯りを。
名前も言葉もいりません。もう一度押すと取り消せます。



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