A Person assigned a price tag ― 人間の価値 ―
#01 囚われる白鳥 | #02 猟犬の嗅覚 | #03 追跡と待機 | #04 奈落の花 | #05 取引の価値は
#06 暗澹たる地図
旧知の仲
『――私だ、レジナルド』
「クロード、すまない。私の失態だ」
サー・レジナルドは、電話の相手、クロード・ジンに素直に謝罪をした。
『いや――君の眼を掻い潜ったのだ。余程の手練とみるしかあるまい』
「現場をくまなく調査はしているが――」
『何もない』
クロードはレジナルド卿の言葉を代弁する。
「そう――生活感をそのまま残している。違和感が全くない。彼女の飲みかけのハーブティー、読みかけの書類の束……何もかも気味が悪いほど『平然過ぎ』る」
『君が指揮していたSASでもこうは行かぬだろう』
「だろうな。そっちには何か――」
レジナルド卿が言いかける前に、クロードが続ける。
『オリュンピュアが動いた』
「ネメシスか」
『デイモス・クロスを名乗った。ただ――奴自身が命令者ではない』
「何故そう思う」
『本人が言った。“命令ですので”とな』
――ネメシス執行隊。
最前線から離れて時は経つが、噂には聞く。
通称『統率者なき傭兵団』。
明確な指揮系統は、未だ誰にも掴めていない。
個々が独立して行動しているようでありながら、軍隊蟻の群れを思わせる機械的な統率性を見せる。
「厄介だな」
『知っているのか』
「噂だけだ。全体像は私も知らん」
『ならば、どうする』
レジナルドは答えず、荒らされた形跡すらない廊下を見渡した。
そして、ふと一人の男を思い出す。
「……一人いる」
『何?』
「こういう“何もない現場”を嗅ぎ回るのが、昔から妙に得意な奴がな」
『――君に任せる。私が表立って動けぬからな』
「情報はまだ外には漏れていない。関係者にも箝口を頼んである。ただ、いつまで持つかは分からん」
『君の伝手の腕次第だな』
「――折り紙付きだ」
クロードとの通話を切ると、ふう、と溜息をつく。
「さて――問題は奴が動いてくれるか、だな。場合によっては――クアン家との『協定』を履行せねばならん」
懐中の銃が、いやに重く感じた。
黒羊亭の取引
「――最近、エレノアを見かけないのだけれど」
ソフィアが二杯目のスプモーニを空けたところで、向かいのクララ・ハルモニアにそう尋ねた。
ほろ酔いのソフィアをよそに、クララは三杯目のスコッチを平然と空けた。
「彼女も忙しいのよ――自然公園の出来事をあなたも知っているでしょう?」
「あれでしょ?カモシカや狐の姿が急にいなくなった件でしょう?たちの悪い密猟者がいるのよ」
「野鳥も最近見かけないわね」
「土地開発でもしているのかしら?そんな話はエレノアから聞いたこともないけれど――」
その時、黒羊亭の扉が開き、珍しい人物を二人は目にする。
「あれ――レジナルド卿じゃない? 彼もこういうお店に来るのかしら」
二人が声を掛けようと手を挙げたが、レジナルドの視界に入っていないらしく、そのまま奥のカウンター席に向かっていく。

「雰囲気が変ね」
クララがそう言うと、
「誰かと待ち合わせなのよ、きっと」
と、呑気にソフィアが答える。
クララは、呑気にグラスを傾けるソフィアを横目で見た。
――これは、またお守りが必要かも。
「――女性かしら?」
「そんなわけないでしょう」
そんな軽口をクララは叩いてみたが、確かに気になる。
これは、少し観察してみなければ。
「ねー、もし女性だったら、次のスプモーニもおごりねー!」
「はいはい、それでいいですよ」
クララは、小声でボーイに、コールドウォーターを頼んだ。
嗅覚
「――時間だな」
レジナルドは、懐中時計を取り出す。約束の時刻まで、あと僅かだった。
ギシッ、と、黒羊亭の床が軋むような、重い足音が響く。
「待たせたな。――もう6年にもなるか」
比較的大柄なレジナルドより、さらに一回り大きい。
浅黒い肌に、ややアフロ気味の髪をした初老の男だった。
男は、レジナルドの隣の席に座る。

「5年少々だ。――変わらないな、トマス」
「見ての通り、歳を食った。お前こそ変わらんな」
「同じさ」
「マスター、ケルシュはあるかい」
トマスは、グラスを磨いていたマスターに声を掛ける。
「ございますよ、少々お待ちを」
笑顔で、カウンターの奥に入るマスター。
「――飲まんのか」
「いや、今夜はいい」
「そうか」
トマスはそれ以上聞かなかった。

レジナルドは、トマスの胸元から覗く使い込まれたスキットルに目を落とした。
「相変わらず、それを持っているんだな」
「性分なんでな、相棒みたいなもんさ」
ボーイがトマスの前にケルシュのグラスを置き、一礼する。
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう、若いの。――で、何があった」
懐からシガーを取り出すレジナルドの前に、トマスは灰皿をそっと差し出す。
紫煙が上り、一拍、間が空く。
「仕事だ」
「そうか――高くつくぞ」
「構わんさ。お前との仲だ」
賭けにならない賭け
「男性だったわね」
クララがそう言うと、ソフィアはもう自身が言い出しっぺの賭けの話は、既に忘れているようで、
「彼の知り合いかしらね」
「そうね――古い仲みたいね」
クララは気取られぬように二人を観察する。
左頬の銃創。
リラックスを装いながら、周囲に気を張っている雰囲気。
使い込まれたスキットル。
彼は――レジナルドと同じ匂いがする。
「後ろのご婦人はお前の知り合いか」
トマスは背後を振り向かずに、レジナルドに尋ねる。
「どちらだ」
「こっちを見ている方だ」
「ああ。――知り合いのドクターだ」
名前はあえて伏せ、そうレジナルドは答える。
「もう一人の方は――設計士だな」
「何故分かる」
「紙とインクの匂い。それに、右手の指先」
「指?」
「書く人間の手だ。だが文章を書く奴とは違う」
トマスはそう言うと、ケルシュのグラスを呷った。
――気づかれた。
その瞬間、酔いが醒めた。
これ以上、ここにいるのはまずい。
「ソフィア。もう遅くなったからお開きにしましょう」
「えー、まだ大丈夫よー」
「何言ってんの。明日は早いんでしょ?」
と、クララはソフィアにショールを掛け、彼女の手を引くように席を立った。
「今日はおごりよー」
「はいはい、そうですね」

依頼/受諾
「帰ったな」
レジナルドは背後を見る。
ソフィアの肩を支えながら、クララが扉の向こうへ消えるところだった。
「追い払ったのか」
「まさか」
トマスはグラスを傾ける。
「向こうが嗅いだのさ」
事もなげにトマスは言う。
「――本題に移ろうか。何があった」
懐から、レジナルドは一枚の写真を取り出す。
「ほう、綺麗な女性だな。だが――」
「だが、何だ?」
「俺は苦手なタイプだ――俺より先を読む眼をしている」
レジナルドは少し笑って、
「概ね当たっている」
「それはまあいい。で、何があった」
「――忽然と消えた」
その微妙な言い回しに、トマスは反応する。
「消えた?攫われたのではないのか」
「――消えた直後、父親へ脅迫が入った」
「それを誘拐と言うんだがな」
もっともなトマスの問いに、
「だが、証拠がない。痕跡すらない」
トマスはケルシュのグラスを置いた。
「……ほう。で、俺の鼻が必要になったのか」
「現場を見てほしい」
「いつだ」
「今夜だ」
「酒を頼む前に言え。勘が鈍る」
「お前が頼りなんだ」
「――レジナルド。お前には、何度も命を拾ってもらった借りがある」
「昔の借りを持ち出させるつもりはなかった」
「いや――いいさ」
トマスは席を立ち、ジャケットを肩に羽織る。
「これは俺の領分に違いない」

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