ゲームセンターの筐体に跨がり、疾走する
「――レオ。珍しいものがあるじゃないか」
「兄ちゃん、さすが目ざといなあ」
霧の森域《シルヴァ・ネブラエ》。
その自然保護区の奥深くに建つ山荘――《ザ・ガレージ》。
この場所の主は、餌にまんまと釣られた哀れな鯉を見るような目で、僕を眺めていた。
「『ハングオン』か。でも、シットダウンタイプだね」
「フレディ・スペンサーじゃないんだから、あんなでっかいバイク筐体を工房に置けるかよ」
「ケニー・ロバーツでも無理だと思うよ」
「兄ちゃん、キング・ケニーのファンなのかい。意外だなあ。兄ちゃんの世代なら、F1の方へ靡いていると思ってた」
「乗れないけど、バイクは好きでね」
「気持ちは分かるよ」
レオは筐体のハンドルへ手を置いた。
「飛行機よりも、鉄の馬――ってやつだ」
「どれ、試してみようか――」
筐体の前へ回り込み、タイトル画面を確かめる。
「……えっ。これ、『スーパーハングオン』じゃないか!」
思い込みとは怖いものだ。
僕の記憶の中で、『スーパーハングオン』といえばライドオンタイプだった。
ゲームセンターの片隅で、大きなバイク筐体が、あの軽快な音楽を奏でていた。
だから、シートに座るこの筐体を、すっかり初代『ハングオン』だと思い込んでいたのだ。
「兄ちゃん、タイトルくらい確認しろよ」
レオは呆れたように笑い、筐体のコイン投入口を指で叩いた。
「一クレジット、百円だよ」
「お金を取るのかよ」
「当たり前だろ。電気代も整備費も、タダじゃないんだから」
僕は財布から百円玉を取り出した。
「まあ、体感ゲームをワンコインで遊べるなら、安いものか」
「毎度あり」
硬貨を入れると、機械の奥で乾いた音がした。
そして、ブラウン管の向こうから音楽が走り出す。
「そうそう。コースに合わせて曲を選べるんだよな。この思想は、『アウトラン』にも引き継がれたんだっけ」
「当然、四コース全部――」
「音楽は聴いた。それ以上は聞くな」
「分かった。それでこそ兄ちゃんだ」
好きだったテレビアニメでも、同じだった。
好きな音楽をもう一度聴きたい。
決め場面で流れる、あの格好いい曲と空気を、何度でも味わいたい。
そのために僕は、テープが擦り切れるほどVHSを巻き戻し、カセットテープを繰り返し再生した。
「VHSにカセットテープ。いかにも兄ちゃんらしいなあ」
「そういうレオは、DATじゃないか」
「若いからね」
レオは肩をすくめて笑った。
「ってことは、兄ちゃん。ゲーム音楽を録音したりもしてたわけ?」
「テレビアニメもだよ。録音が始まる前に、周りへ『しぃっ』って静かにするよう頼んでさ」
「それで、一番いいところで猫が鳴くんだろ」
「……よく分かったね」
「そういう録音の方が、後で聴くと捨てられないんだよ」
「そう。そのときの思い出まで残るんだよね。だから、上書き録音なんてしなかったよ」
「兄ちゃんらしいや」

レオは手元の作業を続けたまま、こちらを見もしない。
「それで、今日は何の用なの? コインを積むだけなら、また今度にしてよ」
そう言いながらも、作業の邪魔にならない程度には付き合ってくれる。
そういうところが、レオの良いところだった。
「半田付けを見ていて、思い出したんだ。このカセットなんだけどね」
「ROMカセットって言いなよ、兄ちゃん。何の話か分からなくなるじゃないか」
「ああ、悪い悪い。これなんだけど、どうも本体との相性が悪いみたいで」
僕は鞄の中から、一本のROMカセットを取り出した。
ずいぶん昔から持っている、思い出深い一本だ。
レオは受け取るなり、ラベルを見て眉を上げた。
「ファミコン版の『アフターバーナー』、持ってたの? 珍しいなあ」
「『いっき』や『アトランチスの謎』で泣かされ続けた小僧が、ようやくゲーム会社を見直した記念碑だぞ」
「リスペクトは感じるけどね」
レオはROMカセットを裏返し、端子を覗き込んだ。
「ああ、これならコンデンサを交換すればいいよ。ちょうど同じものを持ってる」
手早くネジを外し、基板を取り出す。
レオはその中身を、珍しそうに――そしてどこか懐かしそうに眺めた。

工具箱から小さなコンデンサを取り出すと、古い部品を外し、新しいものへ半田付けし直していく。
「ICチップまで逝ってたら、別料金だったよ」
そう言いながら、端子のクリーニングまでしてくれる大盤振る舞いだった。
「サンキュー! これで、また我が家で遊べるよ」
僕は蘇ったROMカセットを受け取りながら、ふと思い出した。
「そういえばSUNSOFTって、ゲームを初めて喋らせた会社じゃなかったっけ?」
「音声合成のこと?」
レオは半田ごてを置いた。
「確かに、サン電子はパイオニアの一つだね」
「『水戸黄門』?」
「ああ、もっと古いよ」
レオは作業台のモニターを操作し、古いアーケードゲームの画面を呼び出した。
「一九八〇年の『スピーク&レスキュー』。人間がUFOにさらわれると――」
古いスピーカーから、荒い声が響いた。
『タスケテー!』
僕は思わず目を丸くした。
「本当に喋ってる」
「今聴けば、ノイズの塊みたいな声だけどね」
レオは楽しそうに笑った。
「でも当時の人には、機械の向こうに誰かがいるように聞こえた」
「声をきれいに再生できたからすごいんじゃない。声なんか出せそうにない機械へ、人間が声として受け取れる何かを押し込んだ。それがすごいんだ」
レオはそう言いながら、何か別のことを考えている――そんな気がした。
「兄ちゃんは、ノイズ一音でプログレ鳴らした伝説のカリスマ、知ってる?」
「ティム・フォリンだろう」
「さすが。ZX Spectrum――音源なんて立派なものじゃない。基本は一ビットのビーパーだ」
「オンとオフだけ、と考えていいのかな」
「大ざっぱにはね。普通なら警告音か、短い効果音を鳴らして終わりだ」
レオは半田ごての電源を落とした。
「でも、あの兄ちゃんは、そのオンとオフを猛烈な速さで刻んだ。音程も、和音も、ドラムも、本当にはそこにない。人間の耳の中で完成させたんだ」
「機械が音楽を奏でた、というより――」
「聴いた人間に、音楽を作らせた」
レオは満足そうに笑った。
「機械から出ているのは、最後までノイズみたいなもんさ。なのに、オレたちはそこへ旋律を聴く」
彼はそう言いながら、何か別のことを考えているようだった。
「だったらさ、兄ちゃん」
「何だい?」
「機械に“歌”を通す必要なんか、ないのかもしれないぜ」
不意に、僕の脳裏で、あの不思議な体験が反芻された。
IONA。
確かに、彼女の歌は音声ではないのかもしれない。
いや、歌声ですらないのかもしれない。
『歌』だと感じさせるだけの、何か。
旋律。
光。
言葉。
記憶。
そして、聴く者の内側で呼び起こされる、名前のない感情。
彼女はそれを――その体験そのものを、僕に手渡した。
「……レオ」
「何だい、兄ちゃん」
「人が歌を聴くのは、耳だけじゃないんだね」
レオは答えなかった。
半田ごての先から細い煙が立ち上り、工房の空気へ溶けていく。
その横顔は、もう昔のゲーム機を見てはいなかった。
「歌声を止めても」
僕はゆっくりと言葉を選んだ。
「歌まで止められるとは限らない」
レオの口元が、わずかに持ち上がった。
「そういうことさ」
「何を考えているんだい」
「別に」
彼は取り外した古いコンデンサを、指先で弄んだ。
「ちょっと、でかい楽器の鳴らし方を考えてただけだよ」
でかい楽器。
事もなげに口にしたレオの言葉を、僕は妙に自然なものとして受け入れていた。
彼ならば、本当にやるのかもしれない。
音のない世界に音を通すのではなく、
そこへ「音」という概念そのものを持ち込む。
鳴るはずのないものを鳴らし、
語るはずのないものに語らせ、
閉じられた仕様の隙間から、まだ名前のない可能性を引きずり出す。
それが、グリッチ。
レオ・ケレスだった。
「レオ」
「ん?」
「もし――もしさ。そのセッションが実現したら」
「実現したら?」
僕は、その先の言葉を飲み込んだ。
「……いや、何でもない。楽しそうだな、と思っただけ」
「花火大会みたいに言わないでよ、兄ちゃん。変なの」
レオが笑う。
つられて、僕も笑った。
二人の笑い声が、機械と工具に囲まれた《ザ・ガレージ》の中へ、いつまでも木霊していた。



コメント