原義
「Virtual Entity」は広義には、物理的な実体を直接持たないにもかかわらず、コンピューター、ネットワーク、ソフトウェアなどによって、あたかも一つの実体であるかのように識別・操作・活動できる存在を指す。
ただし、特定の一つの技術を示す厳密な標準用語ではなく、その意味は使用分野によって異なる。
『思考の森Project』では、この語を独自に拡張して使用している。
『思考の森Project』における仮想実体
仮想実体《Virtual Entity》とは、
本来は情報として存在するものに、「そこに存在する」という現実上の効力を与える技術・能力・現象の総称。
単なる映像やホログラムとは異なる。
見えるだけではなく、
他者から認識される。
環境と相互作用する。
一定の行動を行う。
場合によっては記録や経験を保持する。
つまり、
「実体があるように見える」のではなく、「実体として扱われる状態を成立させる」
技術である。
現在確認されている仮想実体には、原理の異なる三つの形態が存在する。
Ⅰ型:エイリアス(Type I — Alias)
代表例:エリス・ヴェイン
エリス・“Discord”・ヴェインのみが使用できる、能力と技術の境界に位置する仮想実体。
実在する「本体」を参照し、その存在を別の座標へ投影する。
概念的には、macOSなどにおけるエイリアスに近い。
エイリアスそのものが独立した本体になるわけではない。
必ず、
参照元 → エイリアス
という関係が存在する。
参照型存在
例えばエリス本人をAとする。
別の場所へ出現したエイリアスをA’とする。
A’はエリスに似た別人ではない。
「Aをそこから参照しているもの」
である。
したがって、A’が取得した情報、認識したもの、状態変化などは、原則として参照元Aと接続される。
つまり、経験が同期する。
これがⅠ型最大の特徴である。
本体が必要
Ⅰ型は、本体なしには存在できない。
参照元が失われれば、エイリアスも成立しない。
したがってⅠ型は、
一人の存在を複数地点へ拡張する技術
ではあっても、
もう一人の人間を作る技術
ではない。
エリスが何人現れようとも、存在論的には、
エリス・ヴェインは一人
なのである。
Ⅱ型:スタンドアロン(Type II — Standalone)
代表例:Vesper / The Twilight
Ⅰ型と決定的に異なるのは、
参照元となる生身の本体を必要としない
ことである。
仮想実体そのものが、
人格、
意思、
記憶、
判断能力、
を保持し、自律的に活動する。
「コピー」ではなく「個体」
スタンドアロン型は、誰かのコピーとして成立する必要がない。
生成された瞬間から、
その存在自身が本体
である。
だからRAVENが経験した出来事はRAVENの記憶になる。
NOCTISが下した判断はNOCTIS自身の判断である。
そこに、
「本当の本人は別の場所にいる」
という構造は存在しない。
この意味でⅡ型は、仮想実体三類型の中でもっとも、生命に近い。
IONAとの違い
IONA(Virtual Diva)も人格・記憶・意思を持つ点ではⅡ型に近い。
しかし現在の分類では、完全なⅡ型とはされていない。
IONAの存在領域は基本的に、
電脳空間およびネットワーク上
に限定される。
対してVesperは、現実空間において「そこにいる存在」として活動できる。
したがってIONAは、
Ⅱ型に近接する電脳人格
あるいは、
仮想実体化以前の独立情報生命
として扱われる。
この境界は、研究者の間でも議論が続いている。
Ⅲ型:代理くん(Type III — Proxy / Placeholder)
開発者:レオ・ケレス
Ⅰ型エイリアス現象を観察したレオが、その原理を別の技術体系から再構築したもの。
ただし、レオはエリスの能力を完全に再現したわけではない。
むしろ、「本体を参照する」という部分を意図的に捨てた。
「存在事実」だけを置く
代理くんが配置するのは人格のコピーではない。
対象人物の、
「この場に存在している」
という事実だけを、一時的にその座標へ配置する。
つまり、
本人そのものではない。
本人の分身でもない。
本人の意識が遠隔操作しているわけでもない。
より正確には、
存在のプレースホルダー
である。
Ⅰ型との決定的な違い
Ⅰ型エイリアスには、
本体 ←→ エイリアス
という参照関係が存在する。
Ⅲ型にはそれがない。
したがって代理くんが、
何を見たか。
誰と会ったか。
何を聞いたか。
何を経験したか。
その情報は、原則として本人へ同期されない。
会議へ代理くんを出席させたとしても、レオ本人が、
「で、何の話だった?」
と尋ねる可能性すらある。
これが代理くんの奇妙さである。
なぜ「代理」なのか
代理くんは、本人の代わりに考える存在ではない。
本人の人格を再現する存在でもない。
代行するのは、
出席という事実
である。
例えば、
「レオ・ケレスはこの会議に参加している。」
という条件だけを成立させる。
だから「代理人」というより、
存在代理
に近い。
レオらしい、かなり乱暴な発明である。
Ⅲ型の最大のパラドックス
しかし代理くんには、極めて重大な理論上の問題が存在する。
本来、代理くんは、
独立した人格や継続的記憶を持たない
ことを前提としている。
ところが、もし代理くんが継続的に活動し、
経験を蓄積し、
その経験を次回の代理くんへ引き継ぎ始めた場合。
つまり、
「代理くん自身の記憶」
が成立した場合。
重大な問題が発生する。
「では、それは誰なのか?」
本体から同期されていない。
本体へも同期されない。
しかし、
独自の経験がある。
過去を覚えている。
判断に継続性がある。
自分と他者を区別する。
もしそこまで成立したなら、
それはもはや、
「本人の存在事実だけを置いたもの」と呼べるのか。
という問題である。
レオ本人なら、おそらく、
「あー……そこまで行くとは思ってなかった。」
と言いそうな案件。
Ⅲ型からⅡ型への転移問題
この問題は研究上、
Proxy–Standalone Transition
あるいは、
Ⅲ→Ⅱ転移問題
と呼ぶこともできる。
代理くんが独立記憶を獲得し、
人格的継続性を持ち始めた瞬間、
Ⅲ型だった存在がⅡ型へ変化したのではないか。
という問題。
しかしさらに厄介なのは、
その存在が依然として、
「レオ・ケレスがそこにいる」という意味
を与えられていること。
つまり、
レオではない。
しかしレオとして存在している。
しかも自分自身の記憶を持っている。
という存在論的矛盾が発生する。
三類型の比較
| Ⅰ型 エイリアス | Ⅱ型 スタンドアロン | Ⅲ型 代理くん | |
|---|---|---|---|
| 代表 | エリス | Vesper | レオ |
| 本体参照 | 必要 | 不要 | 不要 |
| 自律意思 | 本体に依存 | あり | 原則なし |
| 独立記憶 | なし | あり | 原則なし |
| 経験の同期 | 本体へ反映 | 自身へ蓄積 | 本体へ反映しない |
| 存在の本質 | 本体の参照 | 独立個体 | 存在事実の代理 |
| 消失時 | 本体は残る | 個体消失 | 本人に影響なし |
| 主な危険 | 本体へのフィードバック | 自律性 | 独立人格の発生 |
仮想実体と「人間」
三つの方式は、技術分類に見えて、
実はそれぞれ、
「人間とは何によって同じ人間なのか」
という違う答えになっている。
Ⅰ型は、
同じ参照元を持つなら同一人物。
Ⅱ型は、
独立した記憶と意思があるなら独立した存在。
Ⅲ型は、
その人物として扱われているなら、その場ではその人物。
という考え方になっている。
そしてここへアルティアを持ってくるとさらに面白い。
アルティアは技術的な仮想実体ではないが、
他人から本人として認識されれば、存在上どこまで本人になれるのか
を身体で実践している。
つまり、
仮想実体は技術側から、アルティアは人間側から、同じ問いへ接近している
わけである。
仮想実体とは、偽物を本物らしく見せる技術ではない。
「本物である」とは、そもそも何を意味するのか。
同じ記憶を持つことか。
同じ身体を持つことか。
同じ名前で呼ばれることか。
同じ存在として扱われることか。
仮想実体技術が発展するほど、その境界は曖昧になる。
そして最も危険なのは、偽物が本物になることではない。
本物と偽物を区別する理由そのものが、失われることである。
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