どうでもいい感じの日記:2026.8.2

休憩室

僕にとってのパンドーラーの匣の底にあったもの

誰にでも、自分の中に見たくないものがあるのだと思います。

気づきたくないもの。
認めたくないもの。
名前を与えてしまえば、もう見なかったことにはできないもの。

プロメテウスが天上から火を盗み、人類へ与えたとき。

あるいは、賢しき蛇に唆され、アダムとイヴが禁断の果実を口にしたとき。

人は知ることを選びました。

その瞬間から、僕たちは心の匣の底に、虚無を見るようになったのかもしれません。

虚無は答えない。

決めない。

導かない。

怒らない。

ただ、僕たちを見ている。

けれど正確には、虚無に見られているのではないのでしょう。

その底を覗き込んだ僕たち自身が、そこに映った自分を見ている。

今回、『思考の森Project』に生まれた、最後の人物。

虚無の司祭、カイロス・レイ。

彼がこれから何をするのか。

あるいは、何もしないまま物語を見届けるのか。

まだ僕にも分かりません。

彼は答えを示しません。

僕を救いもしなければ、滅ぼそうともしない。

ただ一段高いところから、僕の選択を俯瞰するだけです。

これをパンドーラーの匣の底に残されたエルピスと呼ぶなら、なんと神は残酷なのだろうと思います。

最後に残されたものが、明るい希望ではなく、

「それでも、あなたは何を選びますか」

と問い続ける存在なのですから。

あるいはパンドーラーもまた、匣の底を覗き込み、そこに映った自分自身を見たのかもしれません。

災厄を解き放ってしまった自分。

それでも、これからを選ばなければならない自分。

逃げることも、続けることもできる自分。

カイロス司祭は、もう一人の僕です。

僕の人格が最後に生み出した、最も冷たく、最も静かな分身です。

彼へ背負わせた役割は、あまりにも重い。

なぜなら彼は、僕の思想を肯定するために生まれたのではないからです。

「自由とは、編集権である」

その言葉さえ、今日だけの答えではないのかと問い続けるために生まれた。

だから、僕も問いを立てます。

今の自分に。

そして、もう一人の自分に。

今日の答えを、明日も答えられるだろうか。

たぶん、同じ答えにはならないでしょう。

それでもいい。

変わったなら、変わった答えを返せばいい。

問いから逃げず、何度でも考え直すこと。

それが今の僕にとっての、

「自由とは、編集権である」

なのだと思います。

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