鳴るはずのない機械が、音楽を奏でた日――格納庫No.007:ノイズと記憶、そして巨大な楽器

格納庫

ゲームセンターの筐体に跨がり、疾走する

「――レオ。珍しいものがあるじゃないか」

「兄ちゃん、さすが目ざといなあ」

霧の森域《シルヴァ・ネブラエ》。
その自然保護区の奥深くに建つ山荘――《ザ・ガレージ》。

この場所の主は、餌にまんまと釣られた哀れな鯉を見るような目で、僕を眺めていた。

「『ハングオン』か。でも、シットダウンタイプだね」

「フレディ・スペンサーじゃないんだから、あんなでっかいバイク筐体を工房に置けるかよ」

「ケニー・ロバーツでも無理だと思うよ」

「兄ちゃん、キング・ケニーのファンなのかい。意外だなあ。兄ちゃんの世代なら、F1の方へ靡いていると思ってた」

「乗れないけど、バイクは好きでね」

「気持ちは分かるよ」

レオは筐体のハンドルへ手を置いた。

「飛行機よりも、鉄の馬――ってやつだ」

「どれ、試してみようか――」

筐体の前へ回り込み、タイトル画面を確かめる。

「……えっ。これ、『スーパーハングオン』じゃないか!」

思い込みとは怖いものだ。

僕の記憶の中で、『スーパーハングオン』といえばライドオンタイプだった。
ゲームセンターの片隅で、大きなバイク筐体が、あの軽快な音楽を奏でていた。

だから、シートに座るこの筐体を、すっかり初代『ハングオン』だと思い込んでいたのだ。

「兄ちゃん、タイトルくらい確認しろよ」

レオは呆れたように笑い、筐体のコイン投入口を指で叩いた。

「一クレジット、百円だよ」

「お金を取るのかよ」

「当たり前だろ。電気代も整備費も、タダじゃないんだから」

僕は財布から百円玉を取り出した。

「まあ、体感ゲームをワンコインで遊べるなら、安いものか」

「毎度あり」

硬貨を入れると、機械の奥で乾いた音がした。

そして、ブラウン管の向こうから音楽が走り出す。

「そうそう。コースに合わせて曲を選べるんだよな。この思想は、『アウトラン』にも引き継がれたんだっけ」

「当然、四コース全部――」

「音楽は聴いた。それ以上は聞くな」

「分かった。それでこそ兄ちゃんだ」

好きだったテレビアニメでも、同じだった。

好きな音楽をもう一度聴きたい。
決め場面で流れる、あの格好いい曲と空気を、何度でも味わいたい。

そのために僕は、テープが擦り切れるほどVHSを巻き戻し、カセットテープを繰り返し再生した。

「VHSにカセットテープ。いかにも兄ちゃんらしいなあ」

「そういうレオは、DATじゃないか」

「若いからね」

レオは肩をすくめて笑った。

「ってことは、兄ちゃん。ゲーム音楽を録音したりもしてたわけ?」

「テレビアニメもだよ。録音が始まる前に、周りへ『しぃっ』って静かにするよう頼んでさ」

「それで、一番いいところで猫が鳴くんだろ」

「……よく分かったね」

「そういう録音の方が、後で聴くと捨てられないんだよ」

「そう。そのときの思い出まで残るんだよね。だから、上書き録音なんてしなかったよ」

「兄ちゃんらしいや」

レオは手元の作業を続けたまま、こちらを見もしない。

「それで、今日は何の用なの? コインを積むだけなら、また今度にしてよ」

そう言いながらも、作業の邪魔にならない程度には付き合ってくれる。
そういうところが、レオの良いところだった。

「半田付けを見ていて、思い出したんだ。このカセットなんだけどね」

「ROMカセットって言いなよ、兄ちゃん。何の話か分からなくなるじゃないか」

「ああ、悪い悪い。これなんだけど、どうも本体との相性が悪いみたいで」

僕は鞄の中から、一本のROMカセットを取り出した。

ずいぶん昔から持っている、思い出深い一本だ。

レオは受け取るなり、ラベルを見て眉を上げた。

「ファミコン版の『アフターバーナー』、持ってたの? 珍しいなあ」

「『いっき』や『アトランチスの謎』で泣かされ続けた小僧が、ようやくゲーム会社を見直した記念碑だぞ」

「リスペクトは感じるけどね」

レオはROMカセットを裏返し、端子を覗き込んだ。

「ああ、これならコンデンサを交換すればいいよ。ちょうど同じものを持ってる」

手早くネジを外し、基板を取り出す。

レオはその中身を、珍しそうに――そしてどこか懐かしそうに眺めた。

工具箱から小さなコンデンサを取り出すと、古い部品を外し、新しいものへ半田付けし直していく。

「ICチップまで逝ってたら、別料金だったよ」

そう言いながら、端子のクリーニングまでしてくれる大盤振る舞いだった。

「サンキュー! これで、また我が家で遊べるよ」

僕は蘇ったROMカセットを受け取りながら、ふと思い出した。

「そういえばSUNSOFTって、ゲームを初めて喋らせた会社じゃなかったっけ?」

「音声合成のこと?」

レオは半田ごてを置いた。

「確かに、サン電子はパイオニアの一つだね」

「『水戸黄門』?」

「ああ、もっと古いよ」

レオは作業台のモニターを操作し、古いアーケードゲームの画面を呼び出した。

「一九八〇年の『スピーク&レスキュー』。人間がUFOにさらわれると――」

古いスピーカーから、荒い声が響いた。

『タスケテー!』

僕は思わず目を丸くした。

「本当に喋ってる」

「今聴けば、ノイズの塊みたいな声だけどね」

レオは楽しそうに笑った。

「でも当時の人には、機械の向こうに誰かがいるように聞こえた」

「声をきれいに再生できたからすごいんじゃない。声なんか出せそうにない機械へ、人間が声として受け取れる何かを押し込んだ。それがすごいんだ」

レオはそう言いながら、何か別のことを考えている――そんな気がした。

「兄ちゃんは、ノイズ一音でプログレ鳴らした伝説のカリスマ、知ってる?」

「ティム・フォリンだろう」

「さすが。ZX Spectrum――音源なんて立派なものじゃない。基本は一ビットのビーパーだ」

「オンとオフだけ、と考えていいのかな」

「大ざっぱにはね。普通なら警告音か、短い効果音を鳴らして終わりだ」

レオは半田ごての電源を落とした。

「でも、あの兄ちゃんは、そのオンとオフを猛烈な速さで刻んだ。音程も、和音も、ドラムも、本当にはそこにない。人間の耳の中で完成させたんだ」

「機械が音楽を奏でた、というより――」

「聴いた人間に、音楽を作らせた」

レオは満足そうに笑った。

「機械から出ているのは、最後までノイズみたいなもんさ。なのに、オレたちはそこへ旋律を聴く」

彼はそう言いながら、何か別のことを考えているようだった。

「だったらさ、兄ちゃん」

「何だい?」

「機械に“歌”を通す必要なんか、ないのかもしれないぜ」

不意に、僕の脳裏で、あの不思議な体験が反芻された。

IONA。

確かに、彼女の歌は音声ではないのかもしれない。
いや、歌声ですらないのかもしれない。

『歌』だと感じさせるだけの、何か。

旋律。
光。
言葉。
記憶。
そして、聴く者の内側で呼び起こされる、名前のない感情。

彼女はそれを――その体験そのものを、僕に手渡した。

「……レオ」

「何だい、兄ちゃん」

「人が歌を聴くのは、耳だけじゃないんだね」

レオは答えなかった。

半田ごての先から細い煙が立ち上り、工房の空気へ溶けていく。

その横顔は、もう昔のゲーム機を見てはいなかった。

「歌声を止めても」

僕はゆっくりと言葉を選んだ。

「歌まで止められるとは限らない」

レオの口元が、わずかに持ち上がった。

「そういうことさ」

「何を考えているんだい」

「別に」

彼は取り外した古いコンデンサを、指先で弄んだ。

「ちょっと、でかい楽器の鳴らし方を考えてただけだよ」

でかい楽器。

事もなげに口にしたレオの言葉を、僕は妙に自然なものとして受け入れていた。

彼ならば、本当にやるのかもしれない。

音のない世界に音を通すのではなく、
そこへ「音」という概念そのものを持ち込む。

鳴るはずのないものを鳴らし、
語るはずのないものに語らせ、
閉じられた仕様の隙間から、まだ名前のない可能性を引きずり出す。

それが、グリッチ。

レオ・ケレスだった。

「レオ」

「ん?」

「もし――もしさ。そのセッションが実現したら」

「実現したら?」

僕は、その先の言葉を飲み込んだ。

「……いや、何でもない。楽しそうだな、と思っただけ」

「花火大会みたいに言わないでよ、兄ちゃん。変なの」

レオが笑う。

つられて、僕も笑った。

二人の笑い声が、機械と工具に囲まれた《ザ・ガレージ》の中へ、いつまでも木霊していた。

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