『思考の森Project』における、出来事と可能性の成立関係を示す概念。
ここでいう因果律とは、
ある出来事が、どのような条件と経路を経て、次の出来事へつながるのか
という世界の基本的な連続性を指す。
原因があり、条件があり、その結果として出来事が生じる。
通常、存在する者はこの因果の流れの内側にあり、成立していない結果を、理由なく発生させることはできない。
『思考の森Project』における因果律は、未来が一つに決まっているという意味での「運命」とは異なる。
むしろ、
複数の可能性が、条件によって枝分かれしながら存在している構造
として扱われる。
因果律と可能性
ある人物が扉の前に立っている。
その人物には、
扉を開ける。
開けない。
立ち去る。
誰かを呼ぶ。
など、複数の行動可能性が存在する。
しかし、どの未来も等しく現実になるわけではない。
本人の判断。
周囲の状況。
偶然。
第三者の介入。
過去の選択。
そうした条件が重なり、一つの結果が現実として成立する。
したがって未来とは、
まだ存在していない一本の線
ではなく、
成立可能性を持った多数の経路
として存在している。
「可能である」と「起こる」は違う
因果律において重要なのは、
存在する可能性と、実際に選択される可能性は同じではない
ということである。
百通りの可能性があっても、そのうち九十九通りは実現しないかもしれない。
しかし、実現しなかったからといって、その可能性が最初から存在しなかったわけではない。
この「成立し得た可能性」が、因果の猫という存在を理解する鍵になる。
Urzaと因果律
伝説の魔導師Urza――通称「Urza爺」は、
因果律を管理する存在
とされる。
ただし彼は、因果を自由に改変できるわけではない。
むしろその立場ゆえに、直接的な因果操作を禁じられている。
過去を消す。
未来を強制する。
起こり得なかった出来事を発生させる。
死んだ者を「最初から死ななかったこと」にする。
そうした行為は許されない。
Urza本人の言葉では、
「わしは因果を使う者ではない。壊れんよう見張る者じゃ。」
となる。
Urzaにできること
Urzaに許されているのは、可能性を作ることではない。
すでに存在している可能性への、
入口を開くこと
である。
彼は、
「この未来を起こせ」
とは命令できない。
しかし、
「この世界には、まだこういう可能性が残っている」
という場所へ通じる扉を開くことはできる。
ここに、Urza特有の抜け道が生まれる。
因果を渡り歩く存在
通常の存在は、一つの因果系列の中を生きる。
過去から現在へ進み、その時点で成立した結果を受け入れる。
しかし、ごく稀に、
一つの因果系列へ完全には固定されていない存在
が存在する。
それらは、
成立しかけた未来。
選ばれなかった可能性。
偶然によって閉じた経路。
そうした因果の境界を横断できる。
Urzaはそれらを、
「因果を渡り歩く存在」
と呼ぶ。
因果の猫(The Causal Cat)
因果を渡り歩く存在の代表例。
外見上は、ごく普通の猫とほとんど変わらない。
気まぐれ。
好奇心旺盛。
眠いときには寝る。
動くものがあれば触る。
重要そうなものほど、なぜか前脚で叩きたがる。
しかし、その存在だけが、通常の因果関係へ完全には固定されていない。
奇跡を起こす存在ではない
因果の猫は、願いを叶える存在ではない。
世界を書き換えることもできない。
存在しない可能性を作ることもできない。
例えば、
物理的に絶対不可能な現象を起こすことはできない。
すでに完全に失われた可能性を、理由なく復活させることもできない。
できるのは、
まだ完全には閉じていない可能性へ移ること
だけである。
つまり、奇跡ではなく、残っていた偶然を拾う。
「ちょい。」
因果の猫を象徴する動作が、
前脚で何かを軽く触ること
である。
Urzaが数百年かけて保管した因果の媒体。
複数の可能性を保持する象徴物。
極めて重要な装置。
そうしたものも、猫にとっては、
「転がりそうなもの」
でしかない。
前脚で、
ちょい。
と触る。
すると、
ある場所へ転がる。
誰かの足元へ届く。
誰かが拾う。
予定されていなかった一秒が生まれる。
その結果、もともと成立し得た別の可能性が現実になる。
猫自身には、歴史を変えたつもりなどない。
因果の玉石
Urzaの魔導工房には、
「因果の玉石」
と呼ばれる物体が存在するとされる。
これは因果そのものを封じ込めた石ではない。
より正確には、
複数の成立可能性が交差する地点を固定・観測するための媒体
である。
Urzaにとっては極めて重要な研究対象。
しかし因果の猫にとっては、
丸い。
光る。
転がる。
以上である。
この両者の認識差が、しばしば悲劇と喜劇を同時に生む。
Urzaは猫を命令できない
Urzaは因果の猫を、召喚することはできる。
しかし、命令することはできない。
もし、
「アルティアを助けろ」
と命じ、その通りに結果を成立させれば、それは事実上Urzaによる因果操作になる。
したがってUrzaができるのは、
扉を開く。
猫を呼ぶ。
そして、
待つ。
だけである。
猫自身にも目的はない
因果の猫は、
世界を救おうとしているわけではない。
正義の側でもない。
クバネティスのように可能性を守ろうとしているわけでもない。
TINAへ反抗しようとしているわけでもない。
そもそも、
人間が因果律を重要視していること自体に興味がない。
だからこそ、因果の猫は特定の思想に従属しない。
それが、この存在の安全装置でもある。
タロス対アルティア
因果の猫が最も象徴的に関与する出来事の一つが、
タロス・グレイヴス対アルティア・ヴェイル
である。
タロスの《イージス・コア》は、敵が取り得る行動可能性を一つずつ封鎖する。
出口を消す。
通信を消す。
偽装を無効化する。
あらゆる選択肢を削っていく。
最終的に、
「この結果しか存在しない」
という状態へ近づける。
しかし、
そこへ因果の猫が現れる。
猫はタロスの防衛網を破壊しない。
《イージス・コア》を無効化するわけでもない。
ただ、
タロスが計算へ含めなかった可能性を踏む。
その瞬間、完全に閉じたはずの状況へ、一つだけ余白が生まれる。
TINAとの対比
TINA――
There Is No Alternative.
は、
「他に道はない」
と宣言する思想である。
因果の猫は、それに反論しない。
猫は思想を語らない。
ただ、
誰も道だと思っていなかった場所を歩く。
その結果として、
「そこも道だったのか」
と人間が後から気づく。
つまり因果の猫は、Alternativeを主張する存在ではない。
Alternativeが最初から存在していたことを、偶然露呈させる存在
なのである。
クバネティスとの違い
クバネティスは、
存在する複数の未来を見る。
そして、それを本人へ示す。
因果の猫は、
未来を見るわけではない。
ただ、その可能性のあいだを歩く。
したがって、クバネティスが、
海図を見る者
なら、
因果の猫は、
海図に描かれていない浅瀬を勝手に歩くもの
とも言える。
カイロスとの違い
カイロス・レイは、
可能性を提示し、その価値を人間へ問い返す存在
である。
因果の猫は、
価値を問わない。
意味も問わない。
それが良い未来なのか悪い未来なのかも判断しない。
この無関心さが、
因果の猫をもっとも純粋な「可能性の横断者」にしている。
因果の猫の制約
因果の猫にも明確な限界がある。
存在しない可能性は作れない
完全に不可能なことは起こせない。
閉じた因果は開けない
すでに完全に確定し、他の経路が消失した出来事は変更できない。
結果を選べない
猫自身も、どの未来へ至るかを意図的に制御しているわけではない。
正義を保証しない
猫が横断した可能性が、人間にとって望ましい結果になるとは限らない。
呼ばれても何もしないことがある
寝る。
毛づくろいする。
帰る。
それも当然あり得る。
この最後の一つ、かなり大事です。
Urzaが、
「頼むぞ。」
猫:
「…………。」
丸くなる。
Urza:
「寝るな。」
――でも成立する。
因果律の保全
因果の猫が可能性を横断しても、世界そのものが無秩序になるわけではない。
横断後には、その結果を成立させる因果関係が再び連続する。
つまり、猫が現れたから理由なく奇跡が起きるのではない。
猫の行動自体が、新しい原因の一つとして因果へ組み込まれる。
これによって、世界の法則そのものは保たれる。
「可能性の番人」
Urzaは「因果律を管理する存在」と呼ばれる。
しかし、その役割をより正確に表現するなら、
可能性の番人
に近い。
彼が守るのは、
特定の未来ではない。
正しい未来でもない。
「まだ選ばれていない可能性が、可能性として存在できる余地」
である。
だから彼は、
未来を選ばない。
ただ、
一つに固まりすぎた世界へ、まだ残っている余白がないか確認する。
因果律と自由
『思考の森Project』における自由とは、無限の可能性が保証されることではない。
現実には、
閉じる道がある。
失われる未来がある。
やり直せないこともある。
それでも重要なのは、
一つの結果が成立したからといって、それ以前に存在していた他の可能性まで「存在しなかったこと」にしないこと
である。
因果律は、人間を縛る鎖ではない。
むしろ、
選択には結果があることを保証する構造
でもある。
そして因果の猫は、その構造の隙間を歩く。
因果の猫は、奇跡を起こさない。
起こり得なかったことを、起こすこともない。
ただ、人間が「もう道はない」と思った場所で、
まだ閉じていなかった細い可能性の上を歩いていく。
そして、ときどき――
前脚で、ちょい、とする。
その結果、世界は救われるかもしれない。
滅びるかもしれない。
何も起こらないかもしれない。
猫にとっては、どれも同じことである。
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カイロスは可能性の価値を問う。
TINAは可能性を閉じる。
Urzaは可能性が残る余地を守る。
因果の猫は可能性のあいだを歩く。

