「マップスの世界」と即答した昔の自分
『マップスの世界』
とある深夜の、友人たちとの他愛のない語らいの中で。
「理想とする恋愛観と生き方」
という、ご大層なテーマで盛り上がったときに、私が発した答えである。
その時は、生きることに藻掻いていたような、若さ故の暴走気味な人生の中での、ほんの思いつきに過ぎなかったと思う。
だが、今になって、その言葉の意味するところに、私の恋愛観の原点、そして理想とするパートナー像が集約されていたのではないか――。
そんな思いで、キーを叩いています。
言わずと知れた『マップス』は、長谷川裕一先生の代表作にして出世作の大スペクタクル・スペース・オペラ。
当時、コミックNORAでの連載を追いかけながら、その魅力に没頭する少年であった私は、登場するキャラクターは勿論、圧倒的な世界観に飲まれたのでした。
まるで、果ての無い宇宙をひたすら旅をするような。
終わりのない永遠。
そうした底知れぬ震えと興味の虜となっていたのでした。
けれど、今になって思う。
私が惹かれていたのは、宇宙の広さだけではなかったのではないか。
その果てのない世界を、誰と旅するのか。
そして、その人とどのような距離で生きていくのか。
どうやら私は、物語そのものと同じくらい、そのことを見ていたらしい。
――リプミラ・グァイスという女性を通して。
宇宙恋愛(スペース・ファンタジー)
おおよその原型は、既に少年期に備わっていたように思う。
ブラウン管の画面を所狭しと、ハチャメチャに活躍する二人組の魅力的な大人の女性。
ダーティ・ペアという作品に、思春期の脳を焼かれてしまった私は、巷のユリ派・ケイ派の議論の趨勢を尻目に、赤毛の大人の女性――ケイに心を奪われていた。
健康的なお色気はそのままに、大人の女性ならではのウィットの効いた発言の端々に、憧れを超えた恋心を抱いたのだった。
今になって振り返れば、私がケイに見ていたものは、単なる「年上の女性への憧れ」だけではなかったように思う。
誰かに守ってもらう女性ではない。
隣に立ち、ときにはこちらの尻を蹴飛ばし、ときには背中を任せられる女性。
そして何より、退屈とは無縁の人生を共に駆け抜けてくれそうな人。
私のいう「宇宙恋愛(スペース・ファンタジー)」の原型は、案外この頃にはもう出来上がっていたのかもしれない。
窮屈な日常に手を差し伸べ、尻を蹴飛ばしてでも先に進ませ、ともに歩んでいけるような関係。
そうした対等以上の関係性を、既に求めていたのかもしれない。
対等でありながら、ときには自分よりずっと先を歩いている。
だから追いつきたいと思える。
そして、いつかは互いに背中を預けられる。
――成長する関係、とでもいうべきか。
どちらかが一方を守り続けるのではない。
手を引く側と、引かれる側が、ときに入れ替わる。
そうやって二人とも、昨日より少し遠くまで歩いていく。
『天地無用!魎皇鬼』――魎呼という、騒々しくも一途な距離
天地無用!魎皇鬼、第1話。
主人公である柾木天地が、祖父の神社で封印されていた『鬼』の封印を解いてしまったことで始まる、壮大な鬼ごっこ。
命がけの鬼ごっこであるはずなのに、どこか双方面白がっているようにも見える、そのやりとりの果てに、天地が起動させた光の刀――樹雷の船のキー――で手を落とされることで、再び封印した――筈だったが、そのまま天地を気に入った、鬼である『魎呼』は、天地の傍らから離れなかったのであった。
いや、離れられなかったのは、むしろ天地なのかもしれない。
ケイは、追いつき、追い越し、隣にいることを目指す関係。
ケイは少年から見た「追いかけたくなる大人の女性」だった。
魎呼はむしろ、ある日突然こちらの日常へ飛び込んできて、「さあ、あんたもこっちへ来なさい」と手を引く女性。
まるで、今いるステージを、更に引き上げるような関係。
――そんな場所のままじゃつまらない。
アンタもそう思うなら、来なよ、こっちへ。
そう笑いながら、強引に手を引き上げる女性なのかもしれない。
どうやら私は昔から、ただ寄り添ってくれる人だけを求めていたわけではないらしい。
今いる場所を肯定しながらも、そこに留まることだけは許さない。
そんな相手に、強く惹かれてきたのだと思う。
鮎川まどか――簡単には届かない人
恋愛観の相違にもなるのであるが、大体の男性が思い描く恋愛像を集約すると、
・めぞん一刻/音無響子
・きまぐれオレンジ☆ロード/鮎川まどか
になると思う。
どちらも恋愛対象とするならば、かなりの困難を極めるタイプではあるのだが、少年期の僕は『同世代のミステリアス』を迷わず選択した。
同性代のミステリアス――分からないから知りたい。知ったが故に、もっと知りたい。
追いかけても追いかけても、その真実はいつもはぐらかされる。
良い意味での、恋さえも演じることができる女優(アクトレス)――。
そういう、届かないもどかしさすら、愛おしむことを覚えたような気がする。
おそらく私は、恋愛の先に「相手を完全に理解すること」を求めてはいなかったのだと思う。
どれほど近くにいても、その人にしか開けられない扉が残っている。
そして、それを無理にこじ開けようとはしない。
分からないから知りたい。
けれど、すべてを知ってしまわなくてもいい。
そんな矛盾した距離まで含めて、恋なのだと思っていたのかもしれない。
そして気づいた二つの恋愛観
「簡単には手に入らない恋愛」とは、攻略困難な相手を征服することではない。
「背中を預けられる関係」とは、何もかも知り尽くすことでもない。
むしろ、分からないところを残したまま、それでも信頼して背中を預ける。
私は、そうした、分からない気持ちを保留しながらも、自分の背中を預けられる関係性を追い求め続けてきたのかもしれない。
それは現在の『考える』という営みにも似ている。
答えを追い求め、絶対的な回答という形で疑問を征服することではなく、分からないことをあえて楽しむ。
ゴールではなく、プロセス。
では、恋愛もゴールではなく、永遠のプロセスなのではないだろうか。
だから、私は「マップスの世界」と答えた
ールではなく、プロセス。
では、恋愛もゴールではなく、永遠のプロセスなのではないだろうか。
そう考えたとき、遥か昔の自分が、なぜあの夜に迷うことなく答えたのか。
今になって、ようやく少し分かったような気がする。
「マップスの世界」
果てのない宇宙を旅すること。
誰かに手を引かれ、ときには追いかけ、ときには並び、やがて背中を預けること。
そして相手のことをすべて分かったつもりにならないこと。
旅が終わらないように、関係にも完成を求めない。
私があの頃から求めていたのは、そんな恋愛だったのかもしれない。
恋愛とは、相手へ到達する物語ではなく、二人で未知へ向かい続ける物語である。
終わらない永遠の旅を共に、互いの背中を預けられる関係性。
リプミラ・グァイスという女性に、私はずっと、そんなものを見ていたのかもしれません。
だから、あの夜。
私は迷うことなく答えたのでしょう。
「マップスの世界」と。

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